比干
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 16:42 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2010年3月) |
比干(ひかん、生没年不詳)は、中国殷代の王族。文武丁の子で帝乙の弟。帝辛(紂王)の叔父に当たる。名は比で、干の国に封じられたので比干と呼ばれる。
『史記』殷本紀によると、甥の紂王が暴政を行い、西の周の西伯昌(後の文王)の勢力が増大していた頃、紂王を諌めたが聞き入れられなかった。周で文王が死んで発(後の武王)が立つと周の勢力はますます増大し、殷の他の者達は逃げ出してしまったが、比干は「臣下たる者は命をかけて諫言しなければならない」と紂王に対して諫言をした。しかし紂王はこれを聞かず、「聖人の心臓には七竅(人の顔にある7つの穴)があるそうだ。それを見てみたいものだ」と言って比干を殺害し、その胸を切り開いたという。
その後、紂王は周の武王に討たれ、殷は滅亡した。武王は比干の墓に厚く土盛をして比干に対する哀悼の念を捧げた。武王が比干の忠烈を称え、比干の子の堅がその後を継ぎ子孫が林氏と称したと伝わる。
河南省衛輝市に比干廟(北魏時代の494年建立)がある[1]。
『論語』微子篇で、孔子は「殷に三仁有り」として、微子・箕子とともに比干を讃えている。
『封神演義』では、「微子徳」という子がいる設定にされている。
脚注
比干(ひかん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:54 UTC 版)
「封神演義 (漫画)」の記事における「比干(ひかん)」の解説
※この「比干(ひかん)」の解説は、「封神演義 (漫画)」の解説の一部です。
「比干(ひかん)」を含む「封神演義 (漫画)」の記事については、「封神演義 (漫画)」の概要を参照ください。
比干(ひ かん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 03:49 UTC 版)
殷の亜相(副宰相)で帝乙の代から仕える家臣の一人。紂王の叔父に当たる人物。帝乙から紂王の教育係を仰せつかっている。蠆盆の刑に際して、紂王の数々の暴挙に対し強く諫言するも聞き入れられず、不敬罪で処刑を言い渡される。それは覚悟の上での諫言であり、自ら蠆盆に身を投げ死亡する。
※この「比干(ひ かん)」の解説は、「殷周伝説」の解説の一部です。
「比干(ひ かん)」を含む「殷周伝説」の記事については、「殷周伝説」の概要を参照ください。
比干(ひ かん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:06 UTC 版)
「封神演義の登場人物一覧」の記事における「比干(ひ かん)」の解説
商の亜相。紂王の叔父。妲己の持病の治療のために紂王から「玲瓏心」を求められ、心臓を抜き取られて死亡した。封神されて北斗星官の文曲となる。
※この「比干(ひ かん)」の解説は、「封神演義の登場人物一覧」の解説の一部です。
「比干(ひ かん)」を含む「封神演義の登場人物一覧」の記事については、「封神演義の登場人物一覧」の概要を参照ください。
比干と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- >> 「比干」を含む用語の索引
- 比干のページへのリンク