中国の音楽
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当記事では中国の音楽について総合的に解説する。
- 1 中国の音楽とは
- 2 中国の音楽の概要
- 3 関連項目
中国の音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:05 UTC 版)
詳細は「中国の音楽」を参照 中国は、古くより「楽」という概念があった。これは今日の「音楽」が有する娯楽・芸術的要素よりも政治・道徳・倫理的観点が重要視された。儒家・道家・法家など諸子百家によってそれぞれの楽論があったが、後世に最も影響を与えたのは儒家(儒教)の楽論である。 『礼記』や『孝経』によれば、「楽」とは本来人の心から発した精誠を込めた真心の表現手段であり、王者は「楽」を“治情の具”(『旧唐書』音楽志(一))として人民の内的心情に訴えることで精神を統制・改造して王者の教化に従わせるためのものであり、外的規制である「礼」と組み合わせられて「礼楽」とも呼ばれた。孔子は礼楽を重要視して『楽経』を編纂したが、『楽経』のみが早くに散逸して伝われなかったために、6つあったとされる儒教の経典は今日の五経になってしまったという。 従って、前漢までは「楽」を論じるということは、音楽そのもの(楽理・楽技)ではなく、音楽による社会秩序の維持方法に関するものであった。だが、そうした中でも正しい楽器・楽曲の使い方が出来なければ、“治情の具”としての効果を発揮できないという観点から専門的な楽書・楽誌が出現するようになった。唐の時代に則天武后が元万頃らに命じて編纂された勅撰楽誌『楽書要録』10巻は、735年に吉備真備によって日本に持ち帰られ、743年(天平15年5月5日)には、皇太子阿倍内親王(後の孝謙・称徳天皇)が父・聖武天皇の後見人である元正上皇の前で五節舞を奉納している。これは日本の歴史上唯一の女性皇太子であった阿倍内親王が自ら礼楽の主導者すなわち次の王者であることを内外に明らかにする儀式であった。このように中国の礼楽は周辺諸国でも“治情の具”として採用され、雅楽 (中国)などの形でそれぞれの国の音楽に取り入れられることになった。 日本の雅楽も、この「正しい行いと正しい音楽は相応する」という儒教の礼楽思想(正しい音楽は平和を維持し、乱れた音楽は乱世を招き国が滅びるとされ、正しい音律や音楽の維持管理が皇帝の重要な任務の一つとされた)に基づくと言われる。
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