きび‐の‐まきび【吉備真備】
吉備真備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 03:00 UTC 版)
吉備 真備(きび の まきび)は、奈良時代の公卿・学者。氏姓は下道(しもつみち)朝臣のち吉備朝臣。右衛士少尉・下道圀勝の子。官位は正二位・右大臣。勲位は勲二等。
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- ^ 木村卜堂 p.14
- ^ a b 2019年12月26日本経済新聞「吉備真備の筆跡か 中国留学中の墓誌発見」 2020年2月16日閲覧
- ^ 2019年12月26日毎日新聞「留学中の吉備真備の筆跡か 中国で貴重な資料発見」 2020年2月16日閲覧
- ^ a b c d e f 『公卿補任』
- ^ 読みは「しもつみち の くにまさ」
- ^ 『日本後紀』弘仁5年閏7月8日条
吉備真備(きびの まきび)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 20:23 UTC 版)
「ツギハギ漂流作家」の記事における「吉備真備(きびの まきび)」の解説
主人公。フジワラ・ノ・フヒトが最後に記した『幻の漂流録』を持っており、彼の弟子を自称する。漂流作家を志し、漂流録を書くため世界を旅している。ツギハギだらけの服を着ており、持ち物は傘とインク・紙・羽ペンだけである。非常時には傘を武器にして戦い、攻撃時の掛け声は「アンブレラァッッ!!」である。自身の初作品を書いてチヨルダ国ジンボータウンにやってきた。漂流録にかけては雄弁で自身の考えを持っているが、あまりにも空気が読めない上に口が悪く、しばしば不謹慎な発言をする。落とし物も多い。
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吉備真備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 02:15 UTC 版)
作中では下道(しもつみちの)真備と呼ばれる。努力型で凡庸だが、権力動向には敏感。利害の一致した玄昉と組む。
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