遣唐留学生として入唐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:54 UTC 版)
持統天皇9年(695年)備中国下道郡也多郷(八田村)土師谷天原(現在の岡山県倉敷市真備町箭田)に生まれる。 元正朝の霊亀2年(716年)第9次遣唐使の留学生となり、翌養老元年(717年)に阿倍仲麻呂・玄昉らと共に入唐する。唐にて学ぶこと18年に及び、この間に経書と史書のほか、天文学・音楽・兵学などの諸学問を幅広く学んだ。ただし、真備の入唐当時の年齢と唐の学令(原則は14歳から19歳までとされていた)との兼ね合いから、太学や四門学などの正規の学校への入学が許されなかった可能性が高く、若い仲麻呂や僧侶である玄昉と異なって苦学を余儀なくされたと思われる。唐では知識人として名を馳せ、遣唐留学生の中で唐で名を上げたのは真備と阿倍仲麻呂のただ二人のみと言われるほどであった。
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