遣戸、舞良戸の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 18:02 UTC 版)
『源氏物語』には、遣戸(やりど)という表現が出てくる。貴族の邸宅や寺院建築に「遣戸」が主として外回りの隔て建具として使用され始めたが、間仕切りとしても使用されていたようだ。 『源氏物語絵巻』には、その「遣戸」が描かれている。敷居と鴨居の間に建てられた、引き違いの舞良戸である。「遣戸」「舞良戸」は、周囲の框に入子板を張り、舞良子(桟)を取り付けた板戸である。妻戸を軽量化した発展的形態と考えられる。軽量化された舞良戸は便利な建具として、さまざまな意匠が工夫され、開き戸や引き違い戸として多用されていった。舞良子(桟)は、片面又は両面に、横桟または縦桟として、等間隔や吹き寄せなど、さまざまな意匠を工夫して取り付けられた。 敷居と鴨居を設けて樋(みぞ)を彫った、可動式の板壁の発明が契機となり、建具技術の革新と応用発展が一気に開花し、引き違い戸の襖障子や遣戸を工夫発明していった。 遣戸という言葉は、それ自体が引戸の意味であるが、襖障子や明かり障子を意味する事はなく、引き違いの舞良戸を意味していたようである。 ふすま障子の当初の形態は、板戸に絹布を張り唐絵や大和絵を描いたものであったと考えられるが、建具の軽量化という技術課題のなかで、框に組子を設け両面に綾絹を張り、軽量化と室礼としての装飾の目的を達する襖建具が誕生したと考えられる。一方遣戸は、外回りの隔て建具として使用され、妻戸を軽量化した発展的形態と考えられるが、開閉自在の遣戸の誕生は、湿度の高い日本の風土にとって不向きな塗り込めの土壁に代わる革新的建具であった。
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