遣唐使の衰退とは? わかりやすく解説

遣唐使の衰退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 08:10 UTC 版)

遣唐使」の記事における「遣唐使の衰退」の解説

遣唐使次第派遣回数減少し承和5年838年)を最後に50年上中断状態にあった。さらに唐では874年頃から黄巣の乱起きた黄巣洛陽長安陥落させ、斉(880884年)を成立させた。斉は短期間倒れたが、唐は弱体化して首都長安周辺のみを治め地方政権へ凋落した。 既に民間交易活発化し、朝使香を民間商船で日唐間を往来し手に入れた事例もあるため、遣唐使派遣検討されること自体減少していった。 当時日本の対唐観の変化として、「唐への憧憬根底にある唐の学芸技能凌駕したとする認識生成」が、遣唐使派遣事業消極化の背景として挙げられるとされている。

※この「遣唐使の衰退」の解説は、「遣唐使」の解説の一部です。
「遣唐使の衰退」を含む「遣唐使」の記事については、「遣唐使」の概要を参照ください。

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