遣唐使による接触
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:52 UTC 版)
西暦734年遣唐使判官・平群広成が帰国の途上、難破して崑崙国に漂流し抑留された。フエ付近に都があったチャンパ王国と考えられる。広成はその後、中国に脱出し、渤海経由で帰国している。 753年には遣唐使藤原清河や阿倍仲麻呂が帰国の途上、同じく漂流し、当時中国領だった安南のヴィン付近に漂着した。東シナ海から南シナ海に南下する海流の関係でこのような漂流ルートが存在したとされる。これが縁で阿倍仲麻呂は761年から767年まで鎮南都護・安南節度使としてハノイの安南都護府に在任した。チャンパ王国からは仏哲という僧侶が736年(天平8年)に日本に渡って、東大寺で法要を読んでいる。
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