遣唐使の消滅とは? わかりやすく解説

遣唐使の消滅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 08:10 UTC 版)

遣唐使」の記事における「遣唐使の消滅」の解説

寛平6年894年)、唐国温州長官朱褒求め応じる形で、宇多天皇主導56年ぶりに遣唐使計画立てられた。8月21日遣唐大使菅原道真任命された。しかし二十日後、道真によって遣唐使派遣再検討求める「請令諸公議定遣唐使進止状」が提出された。 道真は、この年5月唐人によって伝えられた、在唐留学僧中瓘の書状を基として遣唐使派遣是非を問うた。奏状概要以下のとおりである。 中瓘の伝えてくることによれば、唐では内乱続いており、唐の衰え甚だしく、既に日本と唐の交流停止している。 過去の記録伝えることによれば遣唐使多く遭難した盗賊遭うなどしていたが、唐に渡ってからは危険が及んだ例はない。しかし、唐が衰えている現状では唐に渡ってからも危うい。 中瓘の情報公卿諸学者は、よく検討し派遣可否決めて欲しい。 『日本紀略』には道真奏状提出され同年九月三十日条に「其日遣唐使停める」という記事があったため、長らく道真建議によって遣唐使が「停止」されたと見られていた。しかし1990年石井正敏が『日本紀略』において「其日」が「某日」と同意義使われていることなどから、この記述史料性はないとし、この日付遣唐使停止されという事実はないという結論発表した。この結論研究者によって概ね支持されている。道真遣唐使予定者はこれ以降引き続き遣唐使職位帯び道真最後に遣唐大使称され記録寛平9年897年5月13日であり、遣唐副使紀長谷雄延喜元年901年10月28日公的文書使用した例が残っている。また寛平8年896年)には宇多天皇唐人環(懐)を召して直接話を聞いているが、これは遣唐使派遣のための情報収集とみられている。 しかし、国内災害や唐の衰退道真長谷雄の昇進による人事問題により、遣唐使派遣遅々として進まなかった。ついに延喜7年907年)には唐が滅亡したことによって、遣唐使再開されないままその歴史に幕を下ろした

※この「遣唐使の消滅」の解説は、「遣唐使」の解説の一部です。
「遣唐使の消滅」を含む「遣唐使」の記事については、「遣唐使」の概要を参照ください。

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