遣唐使停止後の日本の外交・貿易とは? わかりやすく解説

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遣唐使停止後の日本の外交・貿易

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 08:10 UTC 版)

遣唐使」の記事における「遣唐使停止後の日本の外交・貿易」の解説

遣唐使停止後、日本の朝廷国家許可なく異国に渡ることを禁じる「渡海制」と唐や宋などの商船来航制限前回安置滞在許可)から次回安置まで10余年間隔空ける)を定めた年紀制」が採用されたとされている。ただし、「渡海制自体公使公的な使者日本言えば遣唐使遣新羅使遣渤海使など)以外の往来禁じた各国律令法規定延長過ぎず9世紀後半から唐や新羅ではこの規制緩んで国家統制下で民間貿易認められたのに対して島国であった日本だけが引き続きこの規定維持する地理的条件備えていた。同様に年紀制」もこの仕組維持するための政策であったと言える。だが、海外へ渡海制限は無いという研究もある。 しかし、貴族寺院中心とした「唐物」の流行など中国文物への憧れ需要は変わらなかった。そのため、10世紀後半に入ると朝廷様々な口実設けて宋や高麗商船入港認める「特例」が見られ一方で法の規制かいくぐって宋や高麗密航する日本船も登場するようになった。更に「年紀制」の規制では唐宋商人日本での滞在期間考慮されず、かつ「年紀制」違反によって廻却(帰国処分受けて取引自体禁じられなかったため、唐宋商人大宰府に近い博多に「唐坊」と呼ばれる居留地形成して貿易行ったとは言え摂関期院政期でも「渡海制」「年期制」違反処分され事例存在しこうした規制曲がりなりにも鳥羽院政の時代12世紀中期)までは維持されたとみられている。鳥羽院政期に入ると、平忠盛のように大宰府による規制排除して宋の商船取引を行うなど、貿易国家統制解体され民間主導する日宋貿易本格化することになる。 また、日本では遣唐使停止以後に独自の文化である国風文化発達することになったとされているが、貴族生活・文化依然として輸入され唐物によって支えられ公文書漢文作成され続けたまた、王羲之の書や白居易の詩が国風文化作品とされる書画文学作品大きな影響与えた点についても様々な指摘がされている。こうした風潮中世武士の時代になっても同様であり、一例として大鎧代表される武士の豪奢な鎧は、中国から輸入した色糸必要不可欠であった

※この「遣唐使停止後の日本の外交・貿易」の解説は、「遣唐使」の解説の一部です。
「遣唐使停止後の日本の外交・貿易」を含む「遣唐使」の記事については、「遣唐使」の概要を参照ください。

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