遣唐使の上表文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/08 13:31 UTC 版)
第1回遣唐使には、630年(舒明2)犬上御田鍬が遣わされた。 貞観5年、使いを遣わして方物を献ず。太宗、その道の遠きを矜(あわれ)み、所司に勅して、歳貢せしむることなからしむ。(『旧唐書』倭国日本伝) 太宗の貞観5年、使いを遣わして入貢す。帝、その遠きを矜(あわれ)み、有司に詔して、歳貢にかかわることなからしむ。(『新唐書』日本伝) 貞観5年(631年)に倭国は使者を派遣して、入貢し方物を献じたが、太宗は、倭国は遠い国であるから、毎年朝貢する必要はない、と担当の役所に命じた、という。 中国は、この国号変更のことを『旧唐書』『新唐書』にのせている。(→倭)
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