日本への帰化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:23 UTC 版)
世界平和記念聖堂の建設が次第に具体化して行くなか、ラッサールは1948年(昭和23年)10月25日、国籍を日本に移している。帰化名にある愛宮真備の「真備」という名は、遣唐使として日本に唐の先進的な文化を持ち帰り、また造東大寺長官として奈良東大寺の建設に携わった奈良時代の大学者吉備真備(695年-775年)に因んだものである。姓の「愛宮」の方は、日本書紀の中で神武天皇が東征の際に行在所を阿岐国(安芸国)の「埃宮(えのみや)」(現在の広島市郊外安芸郡府中町)に置いたという記述を踏まえて、その故地を音(おん)で表すと共に、文字通り神を愛するという意味であると考えられている。吉備国の生まれであった吉備真備の姓名が、「吉備の出の真備」であることの名乗りであることに従えば、「愛宮」すなわち愛の神であるキリストを祀る宮(教会)に住まう「(キリスト教会出身の)真備」という意味であるとも考えられる。 吉備真備というと岡山県倉敷市真備町が有名であるが、岡山県倉敷市真備町箭田にある吉備公産湯の井戸には、ラッサールが建てた顕彰碑があり、ラテン語と日本語でそれぞれ次ぎのような賛がしるされている。 不滅の遺徳を仰がんこの碑石は、この地に生をうけた文学者として、また政治家として、多くの功績をのこされた先賢吉備真備公をたたえるために建てられたものである。願わくば、この偉人のけ高い理想と貴徳が、祖国日本の青少年永遠の模範となり、不滅の指標とならんことを。昭和三十八年十月二日愛宮真備 — 岡山吉備真備公園・吉備真備顕彰碑文
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