世界平和記念聖堂とは? わかりやすく解説

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世界平和記念聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/04 02:20 UTC 版)

世界平和記念聖堂(せかいへいわきねんせいどう)は、広島県広島市中区にある、キリスト教カトリック)の聖堂カトリック幟町教会(カトリックのぼりちょうきょうかい)の聖堂であり、カトリック広島司教区司教座聖堂となっている。広島世界平和記念聖堂(ひろしませかいへいわきねんせいどう)とも呼ばれる。


注釈

  1. ^ 正確には、1950年(昭和25年)8月6日定礎式、1950年(昭和25年)10月8日着工である。石丸紀興1988、2頁。
  2. ^ a b 石丸紀興1988、223-224頁によれば、「設計代を初め頃いっぺんだけ差し上げましたが、その後は村野先生が何時も断りました」(愛宮神父による談)とあり、その額もわずかであったらしい、という。また、設計監理料はラッサール神父が現場で住み込みの担当者に直接渡したとの記述がある。コンペには聖堂と講堂と司教館の3施設の設計が含まれていたが、1等当選者なしで終わったコンペ終了時の1948年(昭和23年)6月末から間もない1948年末(11月かあるいは12月)にはもう、講堂(ザビエル・ホール / ザビエル記念館)の建設工事が清水建設によって始められている。村野藤吾設計による木造の大きな建物で、1949年(昭和24年)9月に完成した。記念聖堂の設計完了は1949年(昭和24年)との記録があるが、村野・森建築事務所に残っている配置図面に書かれている日付には、1948年11月20日という記録がある。1948年(昭和23年)夏から設計が始められ、11月には当初案が固まったとみられている。先に講堂の建設から着手し、すべての図面が出揃ったのが1949年(昭和24年)の半ば頃だと推測されている。石丸紀興1988、90-93頁。
  3. ^ 日本の地震を極度に恐れていた設計者のグロッパー修道士によって、ボルトでガチガチに固められていた。石丸紀興1988、17頁。
  4. ^ 当時、幟町教会に属していた信者約300名のうち、広島市内に居住する者は100人余であった。そのうち、原爆で亡くなったのは25名とされている。石丸紀興1988、20、26頁。
  5. ^ a b 1等10万円(1名)、2等5万円(2名)、3等2万円(3名)、佳作5千円(6名)の計29万円。1948年(昭和23年)当時の国家公務員の初任給が2900円であることから換算すると、1等賞金はその34か月分にあたる。石丸紀興1988、52-53頁。
  6. ^ 「広島平和記念聖堂建設後援会」の中にはその他、名誉会長の一万田尚登日銀総裁、日本経済団体連合会会長、最高裁判所長官、東京・大阪・広島の各商工会議所会頭、広島市長、連合軍総司令部外交局長、高野山真言宗管長、曹洞宗管長といった錚々たるメンバーが連なっていた。石丸紀興1988、139頁。
  7. ^ 石丸紀興1988、56頁による。同書からの引用に際して筆者による傍点を省略した。
  8. ^ 石丸紀興1988、54-55頁と丹下健三・藤森照信 2002、130頁による。なお石丸紀興1988よりの引用に際して筆者による傍点を省いた他、地の文を省略した。また丹下健三・藤森照信 2002、136頁によった原文の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改めた。
  9. ^ ちなみに、1956年(昭和31年)度の学会賞委員会の第二部会(作品賞)において監事を務めていたのが丹下健三である。部会長は前述の通り岸田日出刀、委員は市浦建のほか14名で、「国際文化会館(東京都港区麻布鳥居坂町)」と「世界平和記念聖堂」を作品賞に選んでいる。石丸紀興1988、229頁。
  10. ^ 「聖堂建設委員会」のメンバーは、フーゴ・ラッサール、イグナチオ・グロッパー、今井兼次、伴野三千良、村野藤吾、森忠一の6名である。委員会設立の時期ははっきりとしない。なお、村野建築事務所が村野・森建築事務所となるのは1949年(昭和24年)のことである。石丸紀興1988、86-87、123頁。
  11. ^ カトリック教会が所有していた広島市内の複数の土地を、幟町教会周辺の土地と交換した。石丸紀興1988石丸紀興1988、60-69頁。
  12. ^ 読点を補った他、漢字を一部当用漢字に改めた。
  13. ^ 天井小屋裏の小屋組トラスも鉄骨を使わずに、普通のアングル材を使用した。しかも進駐軍の払い下げなど、方々からかき集めたので、規格もまちまちであった。石丸紀興1988、220頁。世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 10月号 2004年 (PDF) 、4頁。
  14. ^ 石丸紀興1988、144頁には24〜30万本近く現場で作ったとある。
  15. ^ 広島平和記念聖堂コンペ時に定められていた建築要項では聖堂と鐘楼の建築費を1500万円、講堂の建築費を700万円としていた。石丸紀興1988、45頁。
  16. ^ 石丸紀興1988、234頁には「近くの子供が池で遊び、事故を心配して水を抜いた」との記述がある。

出典

  1. ^ 文化遺産オンライン 世界平和記念聖堂 文化庁
  2. ^ 広島県の文化財 - 世界平和記念聖堂 広島県教育委員会
  3. ^ 石丸紀興1988、11-14頁。
  4. ^ a b 石丸紀興1988、32-39頁。
  5. ^ 石丸紀興1988、166、200頁。
  6. ^ a b c d e f g h 丹下健三・藤森照信 2002、136頁。
  7. ^ 石丸紀興1988、80-82、88頁。
  8. ^ 石丸紀興1988、14-17頁。
  9. ^ 石丸紀興1988、23-24頁。
  10. ^ 石丸紀興1988、40-42頁。
  11. ^ 石丸紀興1988、51-53頁。
  12. ^ a b 石丸紀興1988、169-173頁。
  13. ^ 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 7月号 2004年 (PDF) 、4頁。
  14. ^ 石丸紀興1988、138-141頁。
  15. ^ 石丸紀興1988、35頁。世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 7月号 2004年 (PDF) 3頁、世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 12月号 2004年 (PDF) 6頁も参照。
  16. ^ 石丸紀興1988、38、222、226-227頁。
  17. ^ 石丸紀興1988、55-56頁。
  18. ^ 石丸紀興1988、49頁。
  19. ^ 石丸紀興1988、50頁。
  20. ^ 藤森照信1993、60、203-204頁。
  21. ^ 石丸紀興1988、235頁。
  22. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、64-65頁。
  23. ^ 藤森照信1993、203頁。
  24. ^ 石丸紀興1988、179、230-231、234-235頁。
  25. ^ a b 丹下健三・藤森照信 2002、130頁。
  26. ^ 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 12月号 2004年 (PDF) 、3頁。
  27. ^ 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 5月号 2004年 (PDF) 、3頁。
  28. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、135頁。(初出 / 今井兼次「審査に携わって」『平和記念広島カトリック聖堂建築競技設計図集』広島カトリック教会編、洪洋社、1949年)
  29. ^ a b 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 7月号 2004年 (PDF) 、3頁。
  30. ^ 石丸紀興1988、56頁。
  31. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、130頁。
  32. ^ 石丸紀興1988、87-89頁。
  33. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、130、133頁。
  34. ^ a b 丹下健三・藤森照信 2002、133頁。
  35. ^ a b c d 丹下健三・藤森照信 2002、135頁。
  36. ^ 石丸紀興1988、84-86頁。丹下健三・藤森照信 2002、135-136頁。
  37. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、135頁。(初出 / 今井兼次「審査所感」『建築雑誌』1946年8月号)
  38. ^ 石丸紀興1988、72-73頁。
  39. ^ 石丸紀興1988、229頁。
  40. ^ 丹下健三・藤森照信 2002、281-283頁。
  41. ^ 石丸紀興1988、83頁。
  42. ^ 石丸紀興1988、88、230頁。
  43. ^ 石丸紀興1988、84、87-88頁。
  44. ^ 石丸紀興1988、87-89、222-224頁。
  45. ^ 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 9月号 2004年 (PDF) 、4頁。同10月号 2004年 (PDF) 、3頁。
  46. ^ 石丸紀興1988、107-108頁。
  47. ^ 石丸紀興1988、58頁。
  48. ^ 石丸紀興1988、127頁。
  49. ^ 石丸紀興1988、132、135頁。
  50. ^ 石丸紀興1988、139頁。
  51. ^ 石丸紀興1988、141頁。
  52. ^ 石丸紀興1988、118-121頁。
  53. ^ 石丸紀興1988、136頁。
  54. ^ 石丸紀興1988、116頁。
  55. ^ 石丸紀興1988、168頁。
  56. ^ 石丸紀興1988、166頁。
  57. ^ 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 10月号 2004年 (PDF) 、6頁。
  58. ^ 石丸紀興1988、120頁。
  59. ^ 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 10月号 2004年 (PDF) 、4頁。
  60. ^ 石丸紀興1988、206-207頁。
  61. ^ 石丸紀興1988、151頁。
  62. ^ 石丸紀興1988、239頁。
  63. ^ a b 石丸紀興1988、102頁。
  64. ^ 石丸紀興1988、99頁。
  65. ^ 石丸紀興1988、104頁。
  66. ^ 石丸紀興1988、94-95頁。
  67. ^ 石丸紀興1988、198頁。
  68. ^ 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 12月号 2004年 (PDF) 、5-7頁。
  69. ^ 石丸紀興1988、144-146、214-215頁。
  70. ^ 石丸紀興1988、191頁。
  71. ^ a b 世界平和記念聖堂 献堂50周年ニュース vol.1 9月号 2004年 (PDF) 、4-5頁。
  72. ^ 石丸紀興1988、116-117頁。
  73. ^ 石丸紀興1988、44-46頁。
  74. ^ 石丸紀興1988、179、230頁。
  75. ^ 石丸紀興1988、231頁。
  76. ^ 石丸紀興1988、217-218、228-229、260頁。


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