荻原晃とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 荻原晃の意味・解説 

荻原晃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 10:04 UTC 版)

萩原 晃
Aloysius Ogihara Akira S.J
イエズス会司祭
聖職
司祭叙階 1929年
個人情報
別名 アロイジオ
出生 (1896-06-21) 1896年6月21日
日本
山形県酒田市
死去 (1991-08-26) 1991年8月26日(95歳没)
テンプレートを表示

荻原 晃(おぎはら あきら[1], Aloysius Akira Ogihara, S. J.1896年(明治29年)6月21日 - 1991年(平成3年)8月26日)、日本カトリック聖職者イエズス会士。洗礼名はアロイジオ。第3代広島使徒座代理を務めた。

生涯

1896年6月21日、山形県鶴岡市で生まれた。1921年上智大学哲学科を卒業し、同年歩兵第32連隊に入隊した。1922年オランダのイエズス会修練院に入り、1929年7月31日にスペインナバラ州ザビエル城内の教会で司祭に叙階された。1932年3月16日に日本に帰国。その後は広島教区の教会で働いた。

1940年にヨハネス・ロス司教を引き継いで第3代広島使徒座代理に就任した。太平洋戦争中の1943年8月、長崎教区山口愛次郎司教とともに海軍に徴用され、インドネシアフローレス島で住民に対する司牧活動に従事した[2]。戦後の1946年に帰国。使徒座代理復帰後は世界平和記念聖堂の建設に尽力し、1952年には建設基金募集などの目的で欧米14カ国の講演旅行をした[3]

1959年7月23日に使徒座代理を辞任し、その後は東京聖イグナチオ教会で働いた。1965年、鎌倉十二所修道院に移って著作活動を行った。

1991年8月26日に95歳で亡くなり、白柳誠一東京教区大司教および佐藤敬一新潟教区司教の司式により葬儀が行われた。

関連項目

脚注

  1. ^ DIOCESE OF HIROSHIMA
  2. ^ 下五島地区教会史(カトリック再宣教時代 長崎教区資料編)(1)
  3. ^ ヒロシマの記録1952 9月

参考文献

神の小羊 -鶴岡カトリック教会略史- 荻原泉 鶴岡カトリック教会 1996年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「荻原晃」の関連用語

荻原晃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



荻原晃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの荻原晃 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS