いとう‐マンショ【伊東満所】
いとうマンショ 【伊東マンショ】
伊東マンショ
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伊東 マンショ(いとう まんしょ、Mancio、伊東 満所、永禄12年〈1569年〉? - 慶長17年10月21日〈1612年11月13日〉)は、安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタン。天正遣欧少年使節の主席正使、イエズス会員でカトリック教会の司祭。マンショは洗礼名、本名は伊東 祐益(いとう すけます)。[1]
- ^ “伊藤満所(マンショ)”. 西都市観光協会. 2024年3月5日閲覧。
- ^ 読売新聞2014年3月17日
- ^ 朝日新聞デジタル 2016年5月25日閲覧
- 1 伊東マンショとは
- 2 伊東マンショの概要
- 3 生涯
- 4 肖像画
伊東マンショ(いとう マンショ)
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「サムライ・ラガッツィ -戦国少年西方見聞録-」の記事における「伊東マンショ(いとう マンショ)」の解説
天正遣欧少年使節団の主席正使。大友宗麟の名代。育ちの良さを表した風貌で、礼儀作法に長け、使節団の一員であることを何よりも誇りに思っている。西洋教育を受けていない晴信を見下し、また自信過剰な面も見られたが、晴信に命を救われて以来、徐々に信頼を寄せることとなる。基本的に生真面目で規律を守る性格だが、いざというときは人命を救うため、嵐の海に飛び出す度胸も備えている。
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固有名詞の分類
江戸時代の人物 | 中根長十郎 平田靱負 伊東マンショ 石田重成 ウィレム・フルステーヘン |
安土桃山時代の人物 | 大岡清勝 藤原惺窩 伊東マンショ 石田重成 妻木煕子 |
キリシタン | 明石全登 栖本親高 伊東マンショ 毛利元鎮 山田右衛門作 |
カトリック教会の聖職者 | アンリ・トルネ=シャヴィニー フルトン・J・シーン 伊東マンショ 隠者ピエール ガスパル・ヴィレラ |
イエズス会士 | 朱樹徳 フェルディナント・フェルビースト 伊東マンショ ガスパル・ヴィレラ ドメニコ・ツィポーリ |
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