記念碑等
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4名全員の群像 長崎県大村市 - 「天正遣欧少年使節顕彰之像」(1982年、使節の出発400年を記念して建立)。 伊東マンショ 宮崎県西都市都於郡城趾 - 「伊東満所像」 宮崎県日南市日南駅駅前広場 - 「伊東マンショ像」 大分県大分市遊歩公園 - 「伊東ドン・マンショ像」(彫刻家北村西望による作品) 千々石ミゲル 長崎県雲仙市雲仙市役所千々石総合支所前庭 - 「千々石ミゲル像」 長崎県雲仙市釜蓋城趾 - 「千々石清左衛門碑」 中浦ジュリアン 長崎県西海市 - 「中浦ジュリアン記念公園」 原マルティノ
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記念碑等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 22:58 UTC 版)
福西志計子墓所 高梁市頼久寺町、高梁基督教会堂墓所内。順正寮跡(および、学校法人順正学園FC吉備国際大学Charme事務局)北側。 福西志計子公園 高梁市向町、伯備線沿い、高梁税務署裏踏切の南西側敷地。旧黒野邸、順正女学校発祥の地。公園内には高梁市による、福西の業績と彼女の遺訓のひとつとされる「人の見えない所に働く者となれ」という言葉が刻まれた石碑がある。 順正女学校創建碑 高梁市伊賀町、吉備国際大学・同短期大学部・順正高等看護福祉専門学校の第1号共同学舎(順正学園本部)前に在する。明治38年8月、順正女学校によって設置され、以降は順正高等女学校・岡山県立順正高等女学校・岡山県立高梁高等女学校・岡山県立高梁第二高等学校・岡山県立高梁高等学校伊賀町校舎・順正短期大学・吉備国際大学短期大学部、と本地に居を置いた各校によって連綿と守られ続けている、福西の業績を記した遺碑。三島中洲撰文と伝わる。 順正寮跡 福西が明治29年に新設した順正女学校の専門校舎。現在は学校法人順正学園が管理。岡山県指定史跡。 福西先生記念碑(順正学園学生諸君伝碑) 順正学園が福西を顕彰した『学生諸君へ』と題されている石碑。福西の順正女学校設立と、その交友関係を簡潔に記し、その土壌の上に学んでいる事を忘れず心得るよう、順正学園の学生たちに喚起する内容となっている。2012年築。隣には創始者加計勉を顕彰した「道」の碑が並んでいる。加計美也子(順正学園理事長)撰文の碑。順正学園女子学生寮のひとつでありキャンパス至近の学生寮である「たかはし寮」の前に設置されている。
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記念碑等
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歴戦で散った英霊を祀る「挺進神社」が1944年(昭和19年)、宮崎県唐瀬原(現:川南町)の陸軍挺身練習部構内に設置されたが、戦後GHQにより焼失。1949年(昭和24年)、練兵場跡地に建立された川南護国神社に合祀された。 1971年(昭和56年)、第1空挺団が駐屯する習志野駐屯地内に全日本空挺同志会により「空の神兵之像」が建立された。 1963年(昭和38年)、川南護国神社境内に「空挺落下傘部隊発祥之地」碑を建立、1991年(平成2年)、後世に記憶を残すため、空挺戦友会、全日本空挺同志会、遺族により、「川南護國神社に空挺部隊一万有余の英霊合祀の由来」碑が建立された。 このほか、第1挺進飛行団司令部跡である、新田原基地敷地内には「空挺歌碑」の碑がある。
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