新原採炭所、海軍採炭所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 22:10 UTC 版)
「志免鉱業所」の記事における「新原採炭所、海軍採炭所」の解説
志免鉱業所の歴史は、1889年(明治22年)、新原(しんばる、現・須恵町)に設立された新原採炭所に端を発する。新原採炭所は、当時の海軍艦艇の燃料であった石炭の確保を目的として、海軍自身によって開発された。 1898年(明治21年)に新原の地が予備炭山に指定され、翌年には第一坑(竪坑)及び第二坑(竪坑)が同地に開坑している。第一坑(竪坑)、第二坑(竪坑)、第四坑が新原(現・須恵町)に設けられ、第三坑は桜原(現・宇美町)に設けられた。現在JR新原駅近くに新原公園として整備され海軍炭鉱創業記念碑等が保存されている場所が第四坑(斜坑)の坑口と、初期の海軍炭鉱の本部庁舎跡地である。志免において採掘が始められたのは、1906年(明治39年)、第五坑の採掘開始からである。その後も坑口の新設は続き、旅石(現・須恵町)の第六坑、志免町の第七坑、及び第八坑が設けられている。明治期の主力坑は主に新原に所在していたが、昭和初期までには第一坑から第三坑までの坑口 は既に採掘を終えて閉鎖され、採炭の中心地は志免地区の坑口に移行した。それに伴い事務所(庁舎)の位置も1929年(昭和4年)に新原から志免へと移転している。このため、終戦後海軍から国鉄へと事業が移管された際に、正式名称についても志免鉱業所へと変更され、志免の名を冠するようになった。
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