海軍艦艇
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1945年(昭和20年)5月16日、志賀は七尾を出港し、舞鶴に移動。舞鶴海軍工廠で機銃増強工事を受ける。改装完了後出港し、27日に鎮海に到着。以降的山浦を拠点に対馬海峡の対潜哨戒に従事。7月10日、第二十一海防隊は連合艦隊第七艦隊に編入。31日、志賀は壱岐島半城浦で停泊中に空襲を受けたため対空戦闘を行い、P-51 マスタングを2機撃墜したとされる。 8月15日の終戦時は浅海湾に所在。統営、的山浦を経由し佐世保へ回航された。9月15日、第二十一海防隊は佐世保鎮守府部隊に編入された。 海軍省の廃止に伴い1945年(昭和20年)11月30日除籍。
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海軍艦艇
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1945年(昭和20年)6月4日、伊王は大湊に到着。5日に出港し、北海道南方沖で対潜哨戒にあたる。8日、津軽海峡で輸送船団と合流し、小樽、船川を経由した後大湊へ回航された。12日、伊王は大湊を出港して横浜へ向かう特設運送艦第1雲洋丸(中村汽船、2,042トン)他からなる輸送船団を途中まで護衛した後、大湊に戻った。21日、大湊を出港し船団護衛にあたり、船川、小樽を経由して7月5日に大湊に到着。伊王は8日に出港した後対潜哨戒にあたり、10日に八戸に到着。14日に出港して大湊に向かうが、出港後すぐにアメリカ海軍の第38任務部隊(司令官:ジョン・S・マケイン・シニア中将)の空襲を受ける。この空襲で機銃掃射を受けたため船体が小破し、乗員4名が戦死し61名が負傷する被害を出した。同日1600、大湊に到着。8月1日、連合艦隊第十二航空艦隊第百四戦隊に編入。 9日、護衛する予定だった敷設艦常盤、特設敷設艦高栄丸(大同海運、6,774トン)、特設運送艦千歳丸(日本郵船、2,668トン)からなる機雷敷設艦部隊が大湊空襲に遭遇し常磐が被弾擱座してしまった。10日、残された2隻を護衛して大湊を出港し、14日に稚内に到着。宗谷海峡の機雷敷設作業の護衛のため待機中の15日に終戦を迎えた。 8月11日、ソ連の侵攻により樺太の戦い (1945年)が始まった。当時日本領だった南樺太には40万人以上の民間人が居住しており、樺太庁は民間人の本土輸送を図った。日本の陸海軍も輸送に協力することとなり、稚内に停泊していた伊王もこれに参加。8月15日の日本のポツダム宣言受諾発表後も8月23日にソ連軍が島外移動禁止を発令するまで輸送は継続された。伊王は稚内と大泊の間を1往復半した。19日、避難民を乗せて大泊を出港し、稚内へ向かう途中ソ連軍機による雷撃と機銃掃射を受けたが、なんとか同日中に稚内に到着して避難民を降ろした。22日、稚内を出港して佐世保へ向かうが、港に入港する期限の24日となっても航海中であったため、25日に舞鶴に到着。9月15日、舞鶴鎮守府部隊に編入。10月5日、舞鶴にて武装解除がされた。11月20日、海防艦長が關戸好蜜中佐に交代。 海軍省の廃止に伴い1945年(昭和20年)11月30日除籍。
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海軍艦艇
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イギリス(HMS Newcastle)初代 - 1653年に建造された砲54門を備える4等艦。1703年、スピットヘッドで嵐に遭い沈没。 二代 - 1704年にシアネスで建造された。初代と同様4等艦で、砲54門を有する。1705年、マーベラでフランス軍輸送部隊を攻撃した功績で戦闘勲章(battle honour)を受章。1746年に売却されるまで、主にカリブ海と地中海で活動した。 三代 - 1750年、ポーツマスで建造された。就役していた期間は比較的短いが、フランス海軍と幾多の小規模海戦を行った。1761年、サイクロンによる被害を受け沈没。 四代 - 1812年に勃発した米英戦争にともない必要になった高速フリゲートとして建造された。従来と比べて大型な艦で、より大きな砲を備えていたが、これといった活躍の場もなく1850年にリバプールでスクラップとして売却。 五代 - 1860年にデットフォードで進水したスクリュー・フリゲート。排水量は4,020トンで、計31門の砲を備える。 六代 - ブリストル級軽巡洋艦。1910年に就役。 七代 - サウサンプトン級軽巡洋艦。第二次世界大戦と朝鮮戦争に参戦した。1958年にスクラップとして売却。 八代 - 42型駆逐艦の三番艦(D87)。2005年2月1日に退役した。 オーストラリア海軍 (HMAS Newcastle)ニューカッスル (フリゲート)
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海軍艦艇
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7月31日、輸送船団が敵潜の追跡を受けているとの報を受け、伊唐は単独で七尾を出港し、輸送船団と会合。七尾まで船団を護衛する。8月1日、船団は無事七尾沖に到着。輸送船の一部は第85号海防艦の先導で小口瀬戸を通過して七尾湾に入っていった。伊唐が湾内に進入中、突然機雷2発が伊唐の操舵室付近で爆発し、巨大な水柱が上がった。艦尾爆雷部分付近にいた乗員数名が海上に投げ出され、戦死者1名、負傷者12名を出す。また、主機の取り付け部に亀裂が入り、右舷側主機と発電機1基が動かなくなった他、船体の溶接部分の一部が断裂し、機関室と艦尾に浸水。乗員らによる防水作業により沈没は免れたが、行動不能になってしまった。そのため、曳航されて七尾港の埠頭に係留された。14日、海防艦奄美の曳航で富山の日本海船渠へ向かうよう命じられる。同作業準備中の8月15日、七尾で終戦を迎えた。同日、舞鶴へ向かう奄美を見送った伊唐は着底した。 25日、横須賀鎮守府第一予備海防艦に定められる。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍された。
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海軍艦艇
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1917年にはオーストラリア・ニュージーランド軍団の栄誉をたたえ、イギリス海軍でアンザック級 (パーカー級) 嚮導駆逐艦「HMSアンザック (HMS Anzac)」が就役した。これは1919年にオーストラリア海軍に譲渡された。 1948年にはオーストラリア海軍でバトル級駆逐艦「HMASアンザック(英語版)」が就役している。 1996年からはオーストラリア・ニュージーランド海軍が合同で建造するアンザック級フリゲートが就役を始めている。
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