海軍航空隊(RNAS)との統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 07:29 UTC 版)
「イギリス陸軍航空隊」の記事における「海軍航空隊(RNAS)との統合」の解説
1917年8月17日、ヤン・スマッツ将軍は将来の空軍力に関する報告書を戦争会議に提出した。彼はその中で、航空戦力の「敵国を荒廃させ、産業および人口の中心地を大規模に破壊する」潜在能力のゆえに、陸軍や海軍と同じレベルの新しい軍種が創設されるべきであると勧告した。 トレンチャードは日頃からRFCの目的が陸軍の(そしてRNASは海軍の)支援であると感じていて、新しい軍が均一なレベルの戦術航空支援を提供できないことを案じていた。彼はまたパイロットのキャリアも憂慮していた。RFCパイロットに対する要求は高かったため、その多くは消耗しきってしまい、戦闘を継続することができなくなっていた。パイロットはみな他の連隊からRFCに転属になった者たちだったので、その場合には元の部隊に戻ることができたが、別々の軍種になってはそういうわけにはいかないのだった。しかし新しい軍の創設は、西部戦線全域で活用されていないRNASの人員と機械を戦力化することでもあり、同時に、航空機の入手にしばしば悪影響を与えた陸海軍の間の対立を解消することでもあった。 1918年4月1日に、RFCとRNASは合併して新しい軍である「イギリス空軍(Royal Air Force)」が誕生した。イギリス空軍は新たに作られた空軍省の管理下に置かれた。1914年に2,073人ばかりの人員で発足した空軍は、年が明けた1919年初めには4,000機の戦闘用航空機と114,000人の将兵を擁していた。
※この「海軍航空隊(RNAS)との統合」の解説は、「イギリス陸軍航空隊」の解説の一部です。
「海軍航空隊(RNAS)との統合」を含む「イギリス陸軍航空隊」の記事については、「イギリス陸軍航空隊」の概要を参照ください。
- 海軍航空隊との統合のページへのリンク