戦力化
戦力化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:29 UTC 版)
「S-49 (航空機)」の記事における「戦力化」の解説
しかしながら、ユーゴスラビアは既製の飛行機やスペアパーツ、飛行機工場のための設備のみならず、ソ連から大きな支援を受けており、ユーゴスラビア人はソ連でパイロット、設計者、技師、技手として学び、見習いを勤めていたため、結局初期の案は廃され、新たにソ連のYak-9戦闘機を基にしたS-49A(С-49А)が立案された。それは、機体を金属・木材・布等による混合構造とし、収納式の主輪と尾輪を有するというものであった。既に当時のソ連や他の中・東欧諸国では機体を全金属製とするなど大幅な改設計を施したYak-9Pが配備されていたが、S-49Aは古い前期型のYak-9と部分的にはYak-3をモデルにして設計されていた。機体構造を全金属製としなかったのは、当時ユーゴスラビア国内では使用可能な金属が不足していたためである。隣国アルバニア、ハンガリー、ブルガリアなどがより先進的なYak-9Pを装備していたにも拘らずユーゴスラビアが国産機に拘ったのは、それだけ国内航空産業の復興と育成を重視していたということの表れであろう。なお、当時のユーゴスラビア空軍の主な運用戦闘機は、Bf 109GとYak-1B、Yak-3であった。 1948年に初飛行した試作機は、ユーゴスラビア空軍で運用されていたYak-3の搭載エンジンと同じソ連のクリーモフ設計局の開発したVK-105PF2液冷式V型12気筒エンジン(1244 馬力)1 基を装備していた。この新しい飛行機は45 機の政府の発注を受け、1951年までにすべて納入された。量産機には、Yak-1Bに搭載されていたものと同じVK-105PF2より性能の低いVK-105PFエンジン(1180馬力)が搭載された。武装は、同じくソ連製の20 mm機関砲ShVAK 1 門と12.7 mm機銃UBS 2門であった。納入された機体はゼムンの第204IAPと第117IAPに受領されたが、どちらの単位部隊も1957年にこの戦闘機が退役させられるまでにいくつかの飛行場を移動した。 こうして、イカルスS-49A戦闘機はユーゴスラビアの最も困難な時期にあって同国の飛行隊の根幹となった。しかしながら、この機体は新しいYak-9やYak-3をベースにしながらユーゴスラビア国内の復興事情により機体構造や搭載エンジンなどにスペックダウンを行わざるを得なかった。実質的には、S-49AはそのもととなったYak-9やYak-3よりむしろYak-1の改良型であるといった方がよいものであった。スペックダウンは、この機体を参考に行われたものと考えられる。Yak-1はYak-3などよりは劣る旧式の戦闘機であった。しかし、Yak-3やYak-9より金属使用量の少ない構造であったことは当時のユーゴスラビアにとっては有利な特徴であり、機体性能もまずまずのものであったことから、Yak-1はS-49Aの開発に際してはモデルとして最適な機体であったといえる。 S-49Aはその後登場したより優れた機体に代替され、ほぼすべての機体が破棄された。現在では、修復技術の充分ではない1 機のS-49A(機体番号2319/19)がベオグラードの航空博物館に現存しているに過ぎない。
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