戦力の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)
ハワイ諸島は、アメリカにとって太平洋正面の防衛・進攻の戦略的に重要な根拠地であった。ミッドウェー島はハワイ諸島の前哨であり、戦略的要衝である。ニミッツ大将は日本軍の来襲の危険性があるミッドウェーを5月3日に視察し、同島守備隊の指揮官シマード海軍中佐と防備の強化について打ち合わせた。このとき、シマード中佐は兵器と人員が充足すれば防衛は可能であると意見を述べ、ニミッツ大将はシマード中佐の要望通りの補強を行うことにして防備を固めようとした。こうして、ミッドウェー島に集結した航空機は当時最新鋭のTBF雷撃機を含む約120機、アメリカ海兵隊を含む人員の補強は3027人に達し、防爆掩蓋や砲台も配備していた。陸上部隊は士気が高かったが、航空部隊は寄せ集めが多く、また整備員の増強がなかったために搭乗員自ら整備・燃料補給を行うなど、完全に充足した部隊ではなかった。それでも、日本海軍陸戦隊5000名の上陸を撃退するには十分な兵力だった。 ハワイの情報隊は、日本海軍のミッドウェーへの攻撃が6月3日から5日までに行われることを事前に察知し、日本側が陽動作戦として計画していた、空母龍驤と隼鷹を中心とする部隊をアリューシャン方面に向かわせてアッツ島、キスカ島などを占領、ダッチハーバーなどを空爆する作戦も陽動であることを事前に見抜いており、ニミッツ大将はこれらの情報に基づいて邀撃作戦計画を立案した。日本軍の兵力は大きく、ニミッツ大将の指揮下にある使用可能な戦力を全て投入しても対抗するためには不足が大きかった。そのため、アリューシャン・アラスカ方面には最低限の戦力を送るにとどめ、主力をミッドウェーに集中することにした。 アメリカ軍の作戦計画は5月28日に『太平洋艦隊司令長官作戦計画第29-42号』として発令され、内容は、第1に敵を遠距離で発見捕捉して奇襲を防止、第2に空母を撃破してミッドウェー空襲を阻止、第3に潜水艦は哨戒及び攻撃、第4にミッドウェー島守備隊は同島を死守などというものであった。 5月28日に作戦計画を発した時点において、ニミッツ大将は2隻の空母しか使用が期待できなかった。サラトガは日本海軍潜水艦による攻撃で損傷して修理を要する状態にあり、第17任務部隊(TF-17)の2隻は、次にのべるように珊瑚海海戦により大打撃を受けていた。 フレッチャー少将の第17任務部隊は、珊瑚海海戦においてポートモレスビー防衛を成功させ、日本海軍の軽空母1隻(祥鳳)を撃沈。主力空母(翔鶴)にもダメージを与えたものの、自身も主力空母レキシントンを失い、ヨークタウンが中破していた。ヨークタウンへの命中は爆弾1発のみであったが、排煙経路を破壊される重大損傷で、機関からの燃焼煙を正常に排出できずボイラーが出力を上げられず、速力が24ノットに低下。また、2発の至近弾で左舷燃料タンクから燃料が漏れ出していた。特に珊瑚海海戦では艦隊付属の油槽船ネオショーを失い、この燃料漏れは海上での立ち往生になりかねなかった。 ニミッツ大将は、日本軍の侵攻に備えて太平洋南西部よりフレッチャー少将の第17任務部隊をハワイに呼び戻した。途中で何とか燃料を補給できたヨークタウンは5月27日に真珠湾に到着、直ちに乾ドックに入れられて突貫の応急修理工事が実施された。特に燃料タンクの損傷については、アメリカ西海岸のワシントン州ブレマートン港にて長期の修理を行う必要があるとの見通しがあったが、ハワイでの72時間の不眠不休の作業によって、空母としての機能を取り戻し、5月30日に乾ドックを出た。出撃時、艦には修理工が乗ったままであり、戦場へ向かって航行中も修理が続けられた。この応急修理について乗組員は「いいかげんな間に合わせ」と評している。ヨークタウンを母艦とする第5航空群は珊瑚海海戦で損耗していたため、修理のために本国に戻るサラトガの第3航空群と入れ替えられた。これで当時のアメリカ海軍太平洋艦隊が投入できる空母戦力の全てがミッドウェーの戦いに参戦する形が整えられた。 もし、ニミッツ大将が準備できた空母が、第16任務部隊のエンタープライズ、ホーネットの2隻のみであった場合、戦いの様相もまた違っていた可能性は高い。前述にもあるが、日本側はアメリカ海軍の太平洋における戦闘可能空母をこの時点で正規空母2-3隻、軽空母2-3隻と見積もっており、ワスプや軽空母が出現することはあっても、珊瑚海海戦で中破したヨークタウンがミッドウェー作戦に間に合うとは想像だにしていなかった。
※この「戦力の準備」の解説は、「ミッドウェー海戦」の解説の一部です。
「戦力の準備」を含む「ミッドウェー海戦」の記事については、「ミッドウェー海戦」の概要を参照ください。
- 戦力の準備のページへのリンク