戦力の実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 18:10 UTC 版)
アメリカ極東陸軍は、額面上は11個師団という大兵力を有していたが、その実戦力は必ずしも有力とは言い難かった。 アメリカ陸軍の正規部隊は、フィリピン・スカウトも含めて練度は悪くなかったものの、対戦車砲や輸送車両が不足がちだった。中核部隊となるフィリピン師団は、アメリカ本国編成の歩兵連隊1個を既存のフィリピン・スカウト連隊のうち1個と入れ替えて、アメリカ人主体の連隊戦闘団2個を編成できるようにする計画だったが、実現しないままだった。 フィリピン陸軍に至っては、開戦時にもいまだ人員すら揃わない状態だった。各師団は3個歩兵連隊と2個砲兵大隊、対戦車砲大隊などから構成されるはずだったが、訓練まで終えたのは各1個歩兵連隊程度に過ぎなかった。例えば、11月18日に誕生した第31師団の場合、隷下3個歩兵連隊のうち第1陣である第31歩兵連隊は9月1日に動員済みだったものの、第2陣の第32歩兵連隊(11月1日動員)は師団戦列に合流したのが12月6日、第3陣の第33歩兵連隊に至っては11月25日にようやく動員着手という具合であった。最初の砲兵大隊である第31砲兵大隊の動員着手は開戦後の12月12日で、2個の砲兵大隊が揃ったのはバターン半島での籠城戦の最中だった。対戦車砲大隊は編成されないままに終わった。 兵器や弾薬の不足も著しかった。これもフィリピン陸軍第31師団の例で見ると、分隊支援火器のはずのブローニングM1918自動小銃は1個中隊に1丁、師団砲兵用の75mm野砲は照準器が欠けた状態の8門だけが配備された。重機関銃と小銃はそれなりに数が揃っていたが、旧式のブローニングM1917重機関銃(各機関銃中隊に8丁)とスプリングフィールドM1903小銃だった。弾薬不足は訓練にも影響し、9月に動員された第31歩兵連隊が最初の実弾射撃訓練をしたのは11月24日という有様だったが、実弾射撃経験無しで実戦投入された他の多くのフィリピン陸軍部隊よりは恵まれていたという。 また、フィリピン陸軍の沿岸警備部隊はイギリス製の魚雷艇36隻の配備を計画していたが、第二次世界大戦の勃発でイギリスからの輸入は2隻のみしか実現しなかった。代わって現地生産が試みられたが、1隻完成しただけだった。 このほか、フィリピン陸軍兵士に軍事教育を施すときには、言葉の壁も問題となった。教官となったアメリカ人兵士は英語しか解さず、フィリピン・スカウト出身者などの幹部はタガログ語を使い、同じフィリピン人でも一般兵士は出身地域ごとの言語を話した。それでも、次第に信頼関係は出来ていったという。
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