プロトタイプモデル
【英】prototype model
プロトタイプモデルとは、システム開発の初期段階において、機能を制限したり簡易化したりした試作機(プロトタイプと呼ばれる)を作成し、ユーザーに評価させる工程を設け、トータルの開発工数を減らすための開発手法のことである。
プロトタイプモデルは、ユーザーによる評価目的ではなく、本格的な開発に取りかかる前に、設計方式の妥当性、あるいは、性能の検証を行うことで後工程での手戻りを最小限に止めることを目的とする場合もある。
なお、大規模なシステム開発では、プロトタイプモデルの完成までに時間がかかってしまうため、限定的な範囲で行われるか、正式な工程としては設けられないこともある。
プロトタイプ
(試作機 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 08:12 UTC 版)
プロトタイプ(英: prototype)は、原型[1]。最初の、形にしたもの。それを土台にしてさまざまなパターンを生み出してゆくための、最初のもの[2]。試作品[1]。
- ^ 「試しに作る品」という意味になるように造語された用語である。ただしこの言葉を使う人が皆、これを言う前に毎回それをはっきり意識しているかどうかは定かではない。
- ^ 野球で打席に立ってバットを振っても、出塁できるのは通常は2〜3割程度にすぎず、残りの7〜8割は結果が出ずベンチに戻る、というのと同じことが、開発の世界でも通常は起きている。消費者の側は、製品化されて自分が眼にすることになったものばかりに気を奪われ、そういったもののプロトタイプの情報ばかりを見ているので、プロトタイプはきっと量産化すると勘違いしているきらいがあるが、そうではなく、たいていのプロトタイプは、何度か作っても期待ほど使い勝手が良くなかったり、期待の性能値が出せなかったり、仕様を詰めて生産コストなどを計算してみたら採算が採れないと判明するなどして、製品化されずに終わる。形にしたことでそのようなことが分かり、無謀な大量生産をせずに済み、破綻を免れることができるということも、プロトタイプを作る目的のひとつである。
- ^ いきなりの大量生産したとして、生産ラインの端から次々と出てきたものを見て、その段階で、ほぼ間違いなく品質が不完全な品(不良品)だと気づくことになる。(「かも知れない」ではない、ほぼ間違いなく、である)、大量の不良品を作る結果を生み、不良品は販売することもできず、うっかり販売すれば自社製品の信用はガタ落ちとなりその後は自社製品の売上は低迷する。またうっかり販売してしまった不良品は自社負担で(送料なども負担するなどして)回収しなければならなくなり大赤字であるし、また不良在庫の山を作り出し結局廃棄物として処分するのに莫大な費用がかかる。小規模な会社やスタートアップ企業なら不良品の大量生産を1〜2回するだけで倒産する。大企業も数回やらかすと信用がガタ落ちとなり、販売が低迷し、没落してゆく。もちろん、滅びたければ、どんなガラクタでも大量生産はできる。
- ^ 日本においては、プロトタイプの段階から次の段階へ進み、人々に見せてもよい段階に入ったものは「デモ版」「デモ・プログラム」「ベータ版」、まれに「アルファ版」(ベータ版の更に手前)などと呼ばれる。
- ^ 他社との競争に勝つために開発段階の技術は、基本的に、他社に漏れないようにする。 秘匿のしかたについて言うと、 サスペンション、エンジン、トランスミッションなどの見えづらい部分について新しい技術を導入する場合、現行型を改造してプロトタイプとする場合もある(その場合、外観ではプロトタイプとは知られない)。フレームや雨避けに関するプロトタイプだと、見る人が見れば現行車種と異なることが分かり、プロトタイプとバレてしまう。秘匿するために、スタイリング決定後に公道で試験を行うプロトタイプは、人々に知られないように、覆面や偽装を施すこともある。
- ^ 例外はある。人間は他人(他社)の秘密を知りたがるという心理的性質を利用して、まるで釣りの疑似餌のように、人々の関心を釣るために使うのである。マーケティングやブランディング手法のひとつである。プリンス・R380やトヨタ・2000GTの速度記録試験車、果てはソニーが次世代のカーエレクトロニクス・カーデバイスの検証用として試作されたセダン型電気自動車・VISION-Sなどは、宣伝目的で、意図的にメディアに露出された。
- ^ a b 精選版 日本国語大辞典「プロトタイプ」
- ^ Merriam Webster, prototype.
- ^ McDermott, Kara (2018年7月17日). “Eat your heart out, Elon Musk: Behold these ugly electric cars from Seattle's past” (英語). KUOW 2021年6月11日閲覧。
- ^ 試作していても《試作止まり》になってしまうことはあるのだが、"試作車は量産に至るのが当たり前だ" と思っている人は、(事後的に)「量産先行車」「先行量産車」などと呼ぶこともある。
- ^ JR北海道の相次ぐ事故、不祥事及び、北海道新幹線の開業準備の計画、安全性に伴い開発が中止されたため。
試作機(901号機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 02:38 UTC 版)
「JR貨物EF200形電気機関車」の記事における「試作機(901号機)」の解説
1990年(平成2年)6月に製作された、本形式の試作機である。落成後新鶴見機関区に配置され、各種試験に供された。 運転台屋根が前方に向かってわずかに傾斜し、取付屋根は大型で、屋根側面を濃青色と灰白色に塗り分けている。前面下部の灯火類設置箇所は濃灰色で、空調用の風道が設けられた。取付屋根の塗り分けは更新工事の実施時に廃止されている。 中間台車に設置される引張棒は、側面から見て傾斜した状態で装備される。 性能確認試験の過程で山陽本線の瀬野 - 八本松(瀬野八)の勾配を補助機関車無しで1,000t牽引を可能とするための勾配起動試験が行われた。当時の最高速貨物列車(1,000t、110km/h)を単独牽引するためには、余裕を考えて1,100t列車を最急勾配箇所で起動できる性能が必要となる。1991年 (平成3年) 1月から2月にかけて新鶴見機関区の構内で確認試験が行われ、起動抵抗の大きい速度5km/hまでモーター電流を750Aから780Aまで増加し、最大引張力を350kNまで大きくすることにより、1,100t列車を起動加速度0.1km/h/sで引き出し可能となる計画であった。 実際の試験は1991年 (平成3年) 3月6日の深夜に実施された。試験箇所は山陽本線東京起点286km付近の22.5‰、半径400mの曲線区間上であり、等価査定勾配 は25.3 ‰ となる。3月4日の昼間に1,000tの勾配起動を実施したところ、引き出しはスムーズであったが速度が5km/hから上昇せず、モーター電流を790Aまで上げて試験を行うこととなった。編成は901号機を先頭に砂を詰めた試験用コンテナを搭載した貨車が20両1,000t分連結され、万が一動けなくなった時の救援用後部補機がEF67(100t)であった。午前3時45分頃、起動試験が行われ1,100 t 列車の起動に成功している。
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試作機(EF90形)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 20:21 UTC 版)
「国鉄EF66形電気機関車」の記事における「試作機(EF90形)」の解説
昭和40年度第2次債務により、1966年9月にEF90形として川崎車輛+川崎電機で製作された。本形式の前身となる試作機である。最高速度 100 km/h の高速貨車コキ10000形・レサ10000形などと同時に試作され、各種試験に供された。外観上、正面窓の形状が若干異なる。中央の桟は幅が太く、隅の桟は量産車より内側に寄っている。また、側引き窓が2分割されている(量産車は1枚)。1968年、量産1次車が製作されたのと同時期に量産車と仕様を統一する改造を行い、量産車と同じEF66形に編入して番号をEF66 901に変更した。前面窓の桟の移設は1987年の全検入場時に行われたが、桟の幅は変更されなかった。 1987年のJR移行時にはJR貨物に承継され、吹田機関区に配置され貨物列車に使用された。1996年(平成8年)12月にヘッドマーク「さよなら901」を装着して走行し同月28日の2060レ(幡生 → 吹田)で運用から離脱、保留車となり2001年(平成13年)2月9日付で廃車された。現車は広島車両所構内で解体され、現存しない。
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試作機(901号機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 01:46 UTC 版)
「JR貨物EH200形電気機関車」の記事における「試作機(901号機)」の解説
2001年に東芝府中事業所で落成し、高崎機関区に新製配置された。各種試験に供され、2002年10月2日より中央本線・篠ノ井線で営業運転を開始した。 正面窓にセンターピラー(中桟)があり、サイドピラーは幅広のものが設けられている。また、正面窓のワイパーは量産車とは異なる形状のものが採用されている。車体側面向かって右側に JRF ロゴが描かれ、愛称ロゴはない。側面のナンバー表示は各車体の中央寄りにある。パンタグラフはシングルアーム式の FPS-4 形で、関節部を車端側に向けて設置される。 2018年に第2全検に入り、同年9月14日に大宮車両所を出場したが、側面のJRFロゴが消された。
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試作機(901号機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:35 UTC 版)
「JR貨物EF210形電気機関車」の記事における「試作機(901号機)」の解説
1996年3月に三菱電機・川崎重工業で製作された、本形式の試作機である。 新鶴見機関区に新製配置され、各種試験に供された。1997年(平成9年)8月に岡山機関区へ転属した。量産機とは車体側面1エンド側のルーバー形状や、屋根昇降ステップの位置が異なる他、運転席側窓がやや小さく、運転台周りの塗装パターンが若干異なる。側面の車両番号表示は向かって右の助士席側扉付近にある。 主電動機は FMT3 形 (565kW) 、歯車比は 1:4.44 、軸距が2,600 mmに設定され、中間台車がFD5、両端台車がFD6とされた。パンタグラフは下枠交差式のPS22D形である。 1997年(平成9年)12月5日より営業運転を開始した。2005年3月に量産化改造を実施し、量産機と同一の電動機 FMT4 形を搭載し、歯車比も量産車と同一になった。 2022年3月の広島車両所にて全般検査実施の際に、新塗装とキャラクターラッピングが施工されて出場している。
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「試作機」の例文・使い方・用例・文例
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