量産1次車
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1984年(昭和59年)2月から3月にかけて製造された量産1次車では、下記の設計変更が実施された。 側面の車両記号番号表記は、量産先行車であるマト51編成はラインカラーと同色の文字により表記されたアルミ製プレートを貼り付けていたのに対し、本グループ以降は車体に直接黒色の文字で表記されている つり革の留め具をステンレス製から樹脂製に変更 運転台に昇降するための車体側面ステップの形状を変更 車体側面上部に「JNR」マークを設置(国鉄民営化に伴い撤去) 回生ブレーキを全界磁・弱め界磁切替方式に変更
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量産1次車
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「JR東日本キハ100系気動車」の記事における「量産1次車」の解説
1991年(平成3年)3月に富士重工業で製造された5 - 8では、側面のダミー窓の廃止、運転室側窓のHゴム支持への変更、室内の折りたたみ座席の廃止が行われた。また、以降のグループは当初より車内収受方式のワンマン運転に対応して製造されている。定員103名。
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