対空戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 06:09 UTC 版)
1月12日未明、カムラン湾東方沖に達した第38任務部隊は、空母エンタープライズ、インディペンデンスから夜間偵察隊を発進させて第二遊撃部隊(日向、伊勢)を探したが、発見できなかった。第二遊撃部隊は1月7日にカムラン湾進出命令が取り消され(南西方面部隊電令作第7号)、主力はリンガ泊地に碇泊していたためであった。主目標の伊勢型戦艦2隻(日向、伊勢)を発見できなかった第38任務部隊は、やむなく輸送船などを代わりに攻撃することにした。 ヒ86船団は、12日午前7時前にクイニョン湾を出港して北上していたが、午前9時頃に敵艦上機3機に発見された。第901海軍航空隊の戦闘機1機が船団上空を警戒していたが、撃墜されてしまった。午前10時に再び3機編隊の艦上機の接触を受けると、澁谷少将は、対空戦闘の準備を命じた。船団は輸送船を2列縦隊に組んで接岸航行し、沖側を香椎を先頭にした護衛艦で囲んだ戦闘隊形を構えた。 午前11時06分頃から、第一波の艦上爆撃機16機による空襲が始まり、貨物船の余州丸が最初に炎上沈没した。貨物船の永万丸とタンカーの大津山丸は、いずれも機銃掃射を受けて舵が故障して衝突し、人力操舵に切り替えた。澁谷少将は午前中の空襲の被害を見て、万一の場合に備えて機密書類の処分を用意するよう船団全艦船に命令した。 12時過ぎから第二波の空襲が始まり、同日18時頃まで延べ約150機の波状攻撃が続いた。主力は爆撃機で、一部は雷撃機だった。護衛艦艇・輸送船とも、弾薬が尽きるほど激しく対空砲火で応戦したが、夕刻までに輸送船は全滅した。まず、永万丸が爆弾3発の直撃を受けて12時20分に沈没。舵故障で落伍した大津山丸も大破炎上し、午後2時30分に海岸に擱座した。他の船も次々と被爆炎上し、ほとんどは沈没を免れるために自ら海岸に擱座した。タンカーのさんるいす丸が最後まで残ったが、対空砲弾が尽きて脱出不可能と判断し、午後4時に海岸に擱座。船体は午後5時頃からの約30機の爆撃で炎上した。 護衛艦艇に対しても激しい攻撃が加えられ、旗艦香椎は魚雷1発と爆弾2発を受けて午後2時8分頃に後部弾薬庫に引火爆沈した。澁谷少将以下多数が戦死した。最後尾の第五十一号海防艦も、午後2時16分に爆弾の直撃を受けた際に爆雷が誘爆、瞬時に爆沈した(戦死159名)。第二十三号海防艦(艦長:井上光武少佐)は行方不明で生存者が無く、沈没状況不明となっている。海防艦3隻(鵜来、大東、第二十七号海防艦)は、損傷しながらもスコールの陰などに退避して生き残った。 ヒ86船団の16隻中13隻沈没という艦船の損害率は、ヒ船団中で最悪の事例となった。擱座した船にも徹底的に追撃が加えられ、10隻の輸送船は積荷・船体とも全損となった。ただし、沿岸で沈没したために船員の人的被害は比較的軽かった。
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