第二遊撃部隊(第五艦隊)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 13:09 UTC 版)
「捷号作戦」の記事における「第二遊撃部隊(第五艦隊)」の解説
第一遊撃部隊の代わりに空母機動部隊の前衛部隊として、8月1日に北方方面を長年担当してきた第五艦隊が第二遊撃部隊として機動部隊の傘下に入り捷号作戦に参加することが決まる。この時点での第二遊撃部隊の編制兵力は以下の通りであった。 第五艦隊(志摩清英中将)第二十一戦隊(志摩長官直率)重巡洋艦:那智・足柄、軽巡洋艦:木曾・多摩 第一水雷戦隊(木村昌福少将)軽巡洋艦:阿武隈第七駆逐隊:潮・曙 第十八駆逐隊:不知火・霞 第十一水雷戦隊(高間完少将)軽巡洋艦:長良駆逐艦:清霜・松・梅・竹・桃・桑 第六十一駆逐隊駆逐艦:初月・秋月・涼月 第二十一駆逐隊駆逐艦:若葉・初春・初霜 戦艦:扶桑・山城 各部隊は直ちに瀬戸内海西部に進出するが、同部隊の編成は以後も大きく改編され、 8月5日第二十一駆逐隊の連合艦隊直属から第一水雷戦隊に編入(第二遊撃部隊としての戦力の増減は無し) 8月31日長良戦没により、第二十一戦隊の多摩を第十一水雷戦隊に編入。同じく木曾は横須賀鎮守府に編入 9月10日艦隊の主力となる扶桑、山城は第二戦隊を再編したうえで第一遊撃部隊に編成替え ※この他錬成部隊である第十一水雷戦隊は頻繁に所属艦艇が替わっており、詳細は不明 となった。 特に主力艦である扶桑、山城の移動は第二遊撃部隊としては手痛いものであったが、攻略部隊殲滅の為の水上戦力増強は上級司令部である第一機動艦隊司令部の上申を受けてのものであり、第二遊撃部隊側としては強く反対できるものではなかった。
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