部隊の編成
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師管区は1945年4月に師管を改称して設けられ、師管区部隊は師管区の防衛と管区業務に専念する部隊として、従来の留守師団を転換して編成された。師管区部隊は、留守師団を構成した司令部・補充隊のほか、管区内の様々な非戦闘部隊・官衙もまとめられ、全体としてはかなり雑多な集まりである。金沢師管区では、留守第52師団司令部が金沢師管区司令部に改称して発足した。 部隊の正確な編成日について疑念がある。師管区部隊の編成を命じた昭和20年軍令陸甲第2号は、内地の師管区部隊全体につき、4月1日の移行を命じるものであった。師管区司令官の任命は4月1日、戦後に作成された金沢師管区歩兵第一補充隊の報告では、編成年月日を昭和20年4月2日としており、1日ずれただけで符合する。しかし、やはり戦後に陸軍省や厚生省が作成した資料では、司令部の編成が2月11日、補充隊の編成が2月28日で、4月1日前後の他の師管区部隊より早い日としている。実情は不明である。 補充隊は、兵士の教育・訓練を行う部隊で、富山市にあった金沢師管区歩兵第2補充隊のほかは、司令部ともども石川県の金沢市に集中した。師管区司令部と補充隊は、多数の部隊の補充担任となっていた。 管区内には複数の陸軍病院があったが、その中で富山陸軍病院だけが師管区部隊の一部で、金沢第一陸軍病院などは軍管区の直轄であった。終戦時には富山陸軍病院と金沢第二陸軍病院が師管区部隊に属していた。
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部隊の編成
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第6沿岸国境旅団は次のような編成をとっていた。 3個国境警備船団 - 船舶18隻 3個国境大隊 - 12個技術監視中隊、2個駐在技術監視小隊、8個国境中隊、2個国境艇団(小型船舶16隻) 1個国境訓練大隊 ウーゼドム国境中隊 14個機動技術監視中隊 1980年代には次のような下級編成を含んだ。 ロストック駐屯部隊 第6幕僚中隊(Stabskompanie 6) 第6国境保安中隊(Grenzsicherungskompanie 6) 第6国境修理中隊(Grenzinstandsetzungskompanie 6) 第6国境通信中隊(Grenznachrichtenkompanie 6) 第6国境電子情報評価群(Grenzauswertungs-, Rechen- und Informationsgruppe 6) 第6工兵小隊(Pionierzug 6) 第1国境中隊(Grenzkompanie I) - バンシン(ドイツ語版)駐屯 カンミンケ(ドイツ語版)地上検問所(Straßenkontrollpunkt Kamminke) カンミンケ水上検問所(Wasserkontrollpunkt Kamminke) アルトヴァルプ(ドイツ語版)国境区哨所(Grenzabschnittsposten Altwarp) アルトヴァルプ第1国境艇団(1. Grenzbootgruppe Altwarp) - GB23型警備艇13隻、ゼークッター型沿岸巡視艇20隻 第2国境大隊(Grenzbataillon II) - 本部:シュトゥベンカンマー(ドイツ語版) 第2国境中隊(2. Grenzkompanie) - ゼリン(ドイツ語版) 第3国境中隊(3. Grenzkompanie) - レーメ(ドイツ語版) 第1技術監視中隊(1. technische Beobachtungskompanie) - グライフスヴァルター・オイ(ドイツ語版) 第2技術監視中隊(2. technische Beobachtungskompanie) - ゼリン 第3技術監視中隊(3. technische Beobachtungskompanie) - シュトゥベンカンマー 第4技術監視中隊(4. technische Beobachtungskompanie) - アルコナ(ドイツ語版) 第5技術監視中隊(5. technische Beobachtungskompanie) - ドルンブッシュ(ドイツ語版) 第1技術監視小隊(1. technischer Beobachtungszug) - ルーデン(ドイツ語版) 第2技術監視小隊(2. technischer Beobachtungszug) - ザスニッツ(ドイツ語版) 第3技術監視小隊(3. technischer Beobachtungszug) - バルヘーフト(ドイツ語版) ザスニッツ水上検問所(Wasserkontrollpunkt Sassnitz) バルヘーフト水上検問所(Wasserkontrollpunkt Barhöft) 第2国境艇団(2. Grenzbootgruppe) - シュトラールズント 第3国境艇団(3. Grenzbootgruppe) - バルヘーフト 第7国境艇団(7. Grenzbootgruppe) - シュトラールズント 第2信号小隊(2. Signalzug) - ザスニッツ 第1国境船団(1. Grenzschiffabteilung) - ザスニッツ。1983年12月1日移行はヴァーネミュンデ=ホーエ・デューネ。6隻編成。 第3国境大隊(Grenzbataillon III) - 本部:グラール=ミューリッツ(ドイツ語版) 第4国境中隊(4. Grenzkompanie) - アレンショオップ(ドイツ語版) 第5国境中隊(5. Grenzkompanie) - グラール=ミューリッツ 第6国境中隊(6. Grenzkompanie) - キュールングスボルン(ドイツ語版) 第6技術監視中隊(6. technische Beobachtungskompanie) - ダルサー・オルト(ドイツ語版) 第7技術監視中隊(7. technische Beobachtungskompanie) - ヴストロ 第8技術監視中隊(8. technische Beobachtungskompanie) - ヴァーネミュンデ 第9技術監視中隊(9. technische Beobachtungskompanie) - キュールングスボルン ヴァーネミュンデ検問所(Kontrollpunkt Warnemünde) 第2国境船団(2. Grenzschiffabteilung) - ヴァーネミュンデ=ホーエ・デューネ。6隻編成。 第4国境船団(4. Grenzschiffabteilung) - ヴァーネミュンデ=ホーエ・デューネ。6隻編成。 第4国境大隊(Grenzbataillon IV) - 本部:タルネヴィッツ(ドイツ語版) 第7国境中隊(7. Grenzkompanie) - キルヒドルフ (ペール)(ドイツ語版) 第8国境中隊(8. Grenzkompanie) - ブローク(ドイツ語版) 第10技術監視中隊(10. technische Beobachtungskompanie) - ペール 第11技術監視中隊(11. technische Beobachtungskompanie) - ボルテンハーゲン 第12技術監視中隊(12. technische Beobachtungskompanie) - バレンドルフ(ドイツ語版) ティメンドルフ検問所(Kontrollpunkt Timmendorf) タルネヴィッツ検問所(Kontrollpunkt Tarnewitz) 第6国境艇団(6. Grenzbootgruppe) -タルネヴィッツ 第6国境艇団(8. Grenzbootgruppe) - ヴィスマル 第5国境大隊(Grenzausbildungsbataillon V) - キュールングスボルン 特別訓練中隊(Spezialausbildungskompanie) 自動車訓練中隊(Kfz-Ausbildungskompanie) 下士官教育中隊(Unteroffiziersausbildungskompanie) - ペルレンブルク(ドイツ語版) 国境検問所(Grenzübergangsstellen, Güst) ヴィスマール水上国境検問所(Güst-See Wismar) シュトラールズント水上国境検問所(Güst-See Stralsund) ザスニッツ水上国境検問所(Güst-See Sassnitz) ヴァーネミュンデ水上国境検問所(Güst-See Warnemünde) ロストック=ウーベルゼーハーフェン水上国境検問所(Güst-See Rostock-Überseehafen) ムクラン水上国境検問所(Güst-See Mukran) アールベック水上国境検問所(Güst-Straße Ahlbeck)
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部隊の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 23:36 UTC 版)
師管区は1945年4月に師管を改称して設けられ、師管区部隊は師管区の防衛と管区業務に専念する部隊として、従来の留守師団を転換して編成された。師管区部隊は、留守師団を構成した司令部・補充隊のほか、管区内の様々な非戦闘部隊・官衙もまとめられ、全体としてはかなり雑多な集まりである。名古屋師管区では、留守第3師団司令部を名古屋師管区司令部に改称させた。司令部と補充隊は、4月10日に発足した。 師管区部隊の中核は補充隊で、兵士の教育・訓練にあたった。各補充隊は多数の部隊への補充を担任したが、師団司令部・軍司令部への補充は師管区司令部が担当した。師管区司令部は名古屋にあったが、補充隊で名古屋にあったのは歩兵第1補充隊だけで、その他は管区内に分散して配置された。伊勢警備隊は、東京の近衛師団から編成され、特に伊勢神宮の警備にあたった。数的に多い特設警備隊や地区特設警備隊は、ふだんは少数の管理要員を除いて民間人として暮らし、空襲などの時だけ防衛召集される部隊である。 非戦闘の官衙としては、徴兵などの事務にあたる連隊区司令部が各県に一つ置かれた。管区内にある複数の陸軍病院の中には、軍管区司令部に直属するものと師管区部隊の一部になるものがあって、所属変更もなされた。 師管区部隊は管区の防衛にあたる建前ではあったが、名古屋師管区には第13方面軍が主力を配置しており、連合軍の上陸を迎撃するのは方面軍諸部隊の任務であった。
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部隊の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 05:17 UTC 版)
師管区は1945年4月に師管を改称して設けられ、師管区部隊は師管区の防衛と管区業務に専念する部隊として、従来の留守師団を転換して編成された。師管区部隊は、留守師団を構成した司令部・補充隊のほか、管区内の様々な非戦闘部隊・官衙もまとめられ、全体としてはかなり雑多な集まりである。長野師管区では、留守第54師団司令部が3月31日に長野師管区司令部に改称して発足した。 師管区部隊の中心となる補充隊は、兵士を教育・訓練する組織である。新潟県新発田市にあった歩兵第3補充隊のほかは、長野市を中心として長野県の各地に分散配置された。師管区司令部と補充隊は、多数の部隊の補充担任となっていた。 管区内には複数の陸軍病院があり、師管区部隊の一部であるものと、軍管区に直属するものがあった。4月1日施行予定で2月に発した達では、松本陸軍病院と新発田陸軍病院が長野師管区司令官に隷属することと定められた。これが7月10日頃には長野、松本、新発田、村松の4病院が師管区部隊とされた。
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