部隊マーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:15 UTC 版)
「陸軍飛行戦隊#部隊マーク」も参照 帝国陸軍航空部隊には、その機体の所属を示す部隊マークとして図案等を機体に描く瀟洒な文化があり、飛行第64戦隊は「矢印(斜矢印)」を使用していた。この「斜矢印」は垂直尾翼に大きく描かれ、いわゆる中隊色としては戦隊本部は「コバルトブルーの縁取った白矢印」、第1中隊は「白矢印」、第2中隊は「赤矢印」、第3中隊は「黄矢印」がある。 第64戦隊に当時第3中隊整備班長として在隊していた新美市郎元少佐はマーク考案当時を回顧し以下の証言を残している。 隼に機種改変して、どうやら戦も近いらしい、戦隊マークを作らにゃいかんなあってことになって、安間さん(第3中隊長・安間克己大尉)と僕、空中勤務者と、整備の下士官が集まってわさわさやってたんだけど、この矢印なら描きやすいし、格好もいいから、これにしようってことになってね — 新美市郎中尉(第64戦隊第3中隊整備班長) なお「矢印」の部隊マークが採用される前は(九七戦時代の途中頃まで)、鷲を意匠化した「赤鷲」を使用していた。「赤鷲」は操縦席側面の胴体に文字通り赤色で描かれている(同時期の撃墜マークは「赤鷲の片翼」であり「赤鷲」の横に描かれる)。この「胸に描きし赤鷲」は後述の戦隊歌の歌詞として歌われており、映画でもオープニングタイトル画に採用された。
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部隊マーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:17 UTC 版)
挺進部隊は落下傘を意匠化(丸に斜め十字)した部隊マーク(部隊章)を使用しており、挺進兵(空挺兵)は徽章にした部隊マークを軍服に佩用するなどした。また、この意匠は挺進飛行戦隊等の部隊マークとしても使用され所属輸送機の垂直尾翼に描かれていた。 このほか、空中勤務者を意味する空中勤務者胸章や船舶兵を意味する船舶胸章などと同じく、挺進兵には翼を広げた鵄(金鵄)を意匠化した挺進部隊降下者用特別胸章(俗称:挺進胸章)が制定され、部隊長を含む降下者たる挺進兵は軍服や降下服などにこれを佩用した。 2020年「一般社団法人 空の神兵慰霊顕彰碑護持会」が部隊マークを特許庁に申請し、商標登録として認められた。
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部隊マーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 07:28 UTC 版)
陸軍航空部隊の飛行戦隊・挺進飛行戦隊・独立飛行中隊・独立飛行隊・飛行団(司令部機)・練習飛行隊・教育飛行隊・錬成飛行隊・直協飛行隊・野戦補充飛行隊・司令部飛行班・飛行学校・航空学校・航空士官学校・特別攻撃隊など、航空機を有する大半の軍隊および官衙や学校 は職種を問わず部隊マーク(戦隊マーク・戦隊標識・部隊標識・部隊章)を有し、これを機体に描いていた(描画場所は視認性の良さから垂直尾翼が多く、大掛かりなものは機体側面や機首、水平尾翼にも描かれていた)。 部隊マークは隊員や関係者が自前で考案することが大半であり、これらはフランス空軍に範を取った帝国陸軍公認のもので各々の所属を識別する重要な標識であると同時に、隊員の士気や団結心を高める存在として重要視されていた。中には派手で個性的な意匠も多かったことから、いわゆるノーズアートに相当する側面もあった。 一例として、部隊マークに「矢印(斜矢印)」を用い一式戦「隼」の垂直尾翼に描いていた「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊にて、当時整備班長として在隊していた新美市郎元少佐はマーク考案当時を回顧し以下の証言を残している。 隼に機種改変して、どうやら戦も近いらしい、戦隊マークを作らにゃいかんなあってことになって、安間さん(第3中隊長・安間克己大尉)と僕、空中勤務者と、整備の下士官が集まってわさわさやってたんだけど、この矢印なら描きやすいし、格好もいいから、これにしようってことになってね — 新美市郎中尉(第64戦隊第3中隊整備班長) 海軍航空部隊では極めて簡素かつ地味な識別記号(片仮名・漢字・英字・数字等の組合せ)をもって所属を表しており、ごくわずかな例外を除き、陸軍航空部隊における部隊マークに相当する瀟洒な文化は存在しない。陸軍航空部隊でも、レイテ島の戦いから沖縄戦まで第七六二海軍航空隊指揮下で戦った飛行第7戦隊は、従来のアラビア数字の7を図案化したマーキングを廃して、「7-77」のように、海軍式の所属戦隊と機番号だけの識別符号を採用していた。それより先の台湾沖航空戦から第七六二海軍航空隊指揮下で戦った飛行第98戦隊は「508」のように、3桁の機番号のみを表示していた。 なお、2020年3月まで存在した航空自衛隊偵察航空隊がテールマーク(部隊マーク)として使用している「光とレンズ」の意匠は、偵察航空隊初代司令(偵察航空隊長)である生井清2等空佐の発案によって、生井2佐がかつて属した帝国陸軍航空部隊の飛行第33戦隊の部隊マークがモチーフとなっている(生井は最終階級陸軍少佐、飛行第33戦隊第1中隊長を経て戦隊長、エース・パイロット)。
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