護衛側の反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 01:26 UTC 版)
「大西洋の戦い (第二次世界大戦)」の記事における「護衛側の反撃」の解説
1940年10月に船団が被った壊滅的損失により、イギリスは戦術の変更を迫られた。この変更で重要なのは、常に同行する護衛部隊の編成であった。護衛部隊の編成はイギリスとカナダで新造されたフラワー級コルベットとアメリカから貸与された旧式駆逐艦の投入など、段階的に増加しつつあった護衛艦によって助けられた。これらの護衛艦のほとんどがカナダ海軍に編入され、護衛任務の増加に伴いカナダ海軍も拡張されていった。他にも少数ではあったが、新造の護衛艦に自由フランス軍のフランス人、ノルウェー人、オランダ人などの乗組員が配置され、イギリス海軍の指揮下に入った。新しい護衛部隊は2隻か3隻の駆逐艦と6隻のコルベットで構成されたが、そのうちの何隻かは荒天や戦闘による損傷でドックに入って修理していたため、大体6隻で出港することが多かった。また、これらの護衛部隊の編成にあたり、新しく基地がヘブリディーズ諸島のマル島に設けられ、実戦の経験を通して護衛部隊の訓練は捗るようになった。 1941年2月にはイギリスの海軍本部がウェスタンアプローチ軍団の司令部をプリマスからリヴァプールに移動させ、4月には沿岸軍団の航空機も海軍本部が引き継いで空からの支援を受けやすくさせた。また、新型の短波 (SW) レーダーを使って浮上したUボートを見つけることが出来るようになり、捜索に打って付けである小型艦船や航空機への装備が1941年中に行われた。 これらのイギリス海軍の戦術変更は、1941年の春季から船団の防衛において効果を感じ取れた。3月に駆逐艦4隻、コルベット2隻からなる第3護衛群に守られたHX-112船団はUボートの群狼部隊を寄せ付けなかった。U-100は駆逐艦ヴァノックの体当たりを受けて沈没し、クレッチマーのU-99は大破されたため投降した。デーニッツの潜水艦艦隊はクレッチマー、プリーン、シェプケといった主要なエースを失った。一方、デーニッツは対潜水艦用の護衛がなされる前に船団を襲撃できるように、さらに西方に展開するよう潜水艦部隊に指示した。このドイツ海軍側の新しい戦略は、4月にSC-26船団の船10隻を沈めるという手応えを得られた。 5月9日にイギリス海軍の駆逐艦ブルドッグがU-110を捕獲し、完全に無傷なエニグマを回収した。これは連合国にとって暗号解読に必要不可欠な躍進であった。機材はバッキンガムシャー州のブレッチリー・パークの政府暗号学校に運ばれ、そこでドイツの暗号解読に使用された。結果、その他の戦いでもドイツ海軍の動向を事前に察知できるようになり、世界で最初のコンピュータであるコロッサスの開発にも繋がった。
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