戦術の変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
菊水隊の攻撃によりアメリカ軍泊地の防御が予想以上に強化されたことを知った日本軍は、黒木、仁科の進言どおりに水上航走艦を狙う作戦へと変更した。1945年2月19日には硫黄島にアメリカ軍が上陸して硫黄島の戦いが始まり、侵攻部隊を海上で叩く必要に迫られたことも戦術変更の大きな要因となった。また、潜水中の潜水艦より回天に乗艇できる技術的な改善も加えられた。しかしアメリカ海軍も、侵攻部隊の輸送船団は厳重な泊地とは異なって日本軍潜水艦の格好の目標となることを懸念して、大西洋上でドイツ軍Uボート対策で絶大な効果を上げていた護衛空母と駆逐艦で編成されたハンター・キラーグループ(英語版)で護衛していたので、見るべき戦果もなく回天を搭載した母艦が次々と撃沈されていった。アメリカ軍は硫黄島を攻略すると、4月1日には沖縄本島に上陸し沖縄戦が開始されて、その侵攻部隊に対しても回天部隊は出撃したが、より対策を強化したアメリカ軍艦隊相手には損害を重ねるだけとなった。 金剛隊以降、硫黄島や沖縄支援のために出撃した回天部隊は下記となる。 千早隊、神武隊、多々良隊、天武隊、振武隊、轟隊編成 部隊名潜水艦名出撃日作戦海域搭載回天-発進状況千早隊 伊368潜 1945.2.20 硫黄島海域 5基-5基 2.27沈没 千早隊 伊370潜 1945.2.20 硫黄島海域 5基-5基 2.26沈没 千早隊 伊44潜 1945.2.22 硫黄島海域 4基-0基 神武隊 伊58潜 1945.3.1 硫黄島海域 4基-0基 作戦中止帰還 神武隊 伊36潜 1945.3.1 硫黄島海域 4基-0基 作戦中止帰還 多々良隊 伊47潜 1945.3.29 沖縄海域 6基-0基 多々良隊 伊56潜 1945.3.31 沖縄海域 6基-6基 4.5沈没 多々良隊 伊58潜 1945.3.31 沖縄海域 4基-0基 多々良隊 伊44潜 1945.4.3 沖縄海域 4基-4基 4.18沈没 天武隊 伊47潜 1945.4.20 沖縄東方海域 6基-4基 天武隊 伊36潜 1945.4.22 沖縄東方海域 6基-4基 振武隊 伊367潜 1945.5.5 沖縄東方海域 5基-2基 轟隊 伊361潜 1945.5.27 沖縄東方海域 5基-5基 5.30沈没 轟隊 伊363潜 1945.5.28 ウルシー沖縄線上 5基-0基 轟隊 伊36潜 1945.6.4 マリアナ東方海域 6基-3基 轟隊 伊165潜 1945.6.15 マリアナ東方海域 2基-2基 6.27沈没 1945年3月以降は敵本土上陸に備えて、陸上基地よりの出撃や施設設営とともに、スロープを設けられた旧式の巡洋艦(北上)や、松型駆逐艦、一等輸送艦からの発射訓練も行われたが、戦地へ輸送中に撃沈されたり、出撃前に終戦となった。
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