戦術の開拓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:26 UTC 版)
「バトル・オブ・ブリテン」の記事における「戦術の開拓」の解説
第一次世界大戦のような進歩性のないゲーリングの強引な戦術のため、現場では独自の戦法が生みだされていった。16日に行われたドルニエ Do 17による攻撃は高空に達してから緩やかな降下に入り、徐々に速度を増しながら攻撃地点に向かうというものであった。爆撃する頃には時速600キロを超える速度になり、スピットファイアでも追撃は難しかった。この攻撃でウェスト・モーリングが被害を受けた。その日の午後には第2航空艦隊がテムズ河口やホーンチャーチを爆撃し、1時間後には第3航空艦隊が西部を爆撃した。第11飛行群は補給のため基地に戻らざるをえず、第10飛行群が迎撃に向かったが、再びベントナー・サイトが爆撃されて復旧に一週間要する被害を受けた。夜間にはブライズ・ノートンが爆撃された。この日でドイツは約45機を撃墜され、イギリスは空戦で約21機、地上撃破で40機以上を失った。 8月17日、ドイツ空軍では4日間に渡って実施されたアドラーアングリフ作戦での損失に対処するため修理と補充に追われた。それと同時にゲーリングの指示によってメッサーシュミット Bf 109は爆撃機を攻撃してくる戦闘機を撃退するようにしていたが、逆に接敵してきた戦闘機を積極的に排除することとなった。この間、イギリス空軍でも同様に補給と補充が行われ、戦闘機パイロットを休ませる貴重な時間を割くことができた。しかし、イギリス空軍におけるパイロットの不足が明確になりつつあり、イギリス空軍内でやり繰りしきれずイギリス軍全体からかき集められ、フランスやポーランド、オランダなどの亡命外国人パイロットやイギリス連邦、アメリカ合衆国などで義勇軍パイロットも募り、その編成を急ピッチで進めた。 18日にドイツ空軍は、また違った形の波状攻撃を実施した。攻撃の対象は、ケンレイ、ビギン・ヒルであった。まず、ドルニエ Do 17が低空から侵入して小型爆弾で施設に打撃を与え、続いてハインケル He 111やユンカース Ju 88が高空から爆撃して徹底的に叩くという段取りであった。これは低空侵入を行うDo 17が濃密な対空砲火と妨害を受け、高空侵入の爆撃隊も護衛機と迎撃機の空戦に妨害されて爆撃は計画通りにいかなかったものの、ケンレイの基地機能を麻痺させるほどであった。午後になってからは、イギリスの一部の地域で雲が立ち込めてきたため、ドイツ空軍の攻撃は難航した。それでも天候が崩れていない地域への攻撃は行われ、ハンプシャーやフォードの基地で格納庫が破壊されたほか、ポーリング・サイトも爆撃された。 18日はドイツは71機、イギリスは27機を失った。19日からは天候が悪化したため、午後になってポーツマス、サウサンプトン、ドーバーなど軍港を含む港湾への小規模な攻撃が行われた。ドイツ、イギリスともに3機を失った。
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