アドラーアングリフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:26 UTC 版)
「バトル・オブ・ブリテン」の記事における「アドラーアングリフ」の解説
8月13日、ヘルマン・ゲーリングはこの日予定されていたアドラーアングリフ作戦について天候不良を理由に延期を命じたが、延期の連絡が行き届かず、早朝に出撃する部隊の一部が予定通りに出撃してしまい、しかもこれらの部隊はイギリス戦闘機の迎撃を受けて多くが撃墜されてしまった。ドイツ空軍にとって衝撃であったのは、前日にレーダーを破壊しておいたので待ち伏せ攻撃を受けないはずが、イギリスのレーダー・サイトは復旧を終えていたという点であった。その日の午後に天候の回復が確認されるとドイツ空軍は、イギリス戦闘機軍団の飛行場攻撃のため出撃した。イギリス空軍も海上封鎖に対する防戦の経験から、ドイツ空軍の戦闘機が迎撃機を引きつける役を演じていることに気づいており、しつこく爆撃機を狙うことで空襲の被害を未然に防げるようになった。しかし、夜間にはバーミンガムのスピットファイアを製造する工場が爆撃を受け、僅かではあるがスピットファイア Mk. IIの生産に影響を与えた。 14日の午後にも双発戦闘機Bf 110に護衛された急降下爆撃機Ju 87がドーバーを空襲し、ドーバー上空では戦闘機同士の空中戦が生起した。15日の午後には13日を上回る約1,700機規模の大編隊がイギリス南部の飛行場に殺到し、イギリス空軍も第10飛行群 (No. 10 Group) と第11飛行群 (No. 11 Group) から150機の戦闘機が発進して大規模な空中戦を行った。ドイツ空軍のJu 87は防御が弱く、護衛のBf 110は鈍重で、この航空戦の過程でかなりの損害をこうむった。空戦での損失はイギリス側約30機に対して、ドイツ側は約75機に達した。飛行場で地上撃破されたイギリス戦闘機の存在を考慮しても、ドイツ側にとっては戦果より人的物的損害が大きく、15日を暗黒の木曜日と称した。
※この「アドラーアングリフ」の解説は、「バトル・オブ・ブリテン」の解説の一部です。
「アドラーアングリフ」を含む「バトル・オブ・ブリテン」の記事については、「バトル・オブ・ブリテン」の概要を参照ください。
- アドラーアングリフのページへのリンク