ドイツ空軍の標的変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:26 UTC 版)
「バトル・オブ・ブリテン」の記事における「ドイツ空軍の標的変更」の解説
1940年8月1日、和平案を拒絶されたヒトラーは軍事侵攻によってイギリスを屈服させることを決定した。上陸作戦そのものはドイツ陸軍とドイツ海軍が実施することとなったが、制空権の確保が前提とされたため作戦決行の鍵はドイツ空軍が担うことになった。この作戦準備の第一目標がこれまで海上封鎖であったのに対し、イギリス空軍の殲滅を第一に掲げられ、戦闘機の殲滅と飛行場や航空機産業も攻撃の対象にするよう指令が出された。3日にはドイツ空軍の上層部で初期攻撃の目標が選定され、それに向けての準備が開始された。このため、すぐにはイギリス空軍の戦闘機を狙った攻撃は行われず、引き続き艦船など港湾に対する攻撃が行われた。この期間中、双方は航空機の修復と補充を行ったが、イギリス空軍は早くも深刻になり始めていたパイロット不足を補う貴重な時間を得ることができた。11日になってドーバーとポートランドの港湾を狙った大規模な空襲があったが、レーダー網が正確にドイツの編隊を捉え、無線管制を受けた戦闘機軍団の6個飛行隊が邀撃に成功し、イギリス側は戦闘機31機を失ったがドイツの戦闘機23機と爆撃機15機を撃墜した。 8月12日、メッサーシュミット Bf110に500 kg爆弾2発を搭載した戦闘爆撃機型のBf 110 C-4/Bがイギリスのレーダー・サイトを攻撃した。レーダー・サイトはそれまで攻撃の目標にされることがなかったが、ドイツ空軍は翌日から始まる作戦アドラーアングリフ (Adlerangriff) に備えた目潰しと露払いを兼ねて4箇所のレーダー・サイトを攻撃し、ポーツマスへの侵入機を察知するベントナー・サイトは完全にダウンした。この攻撃は第210実験飛行隊 (Erprobungsgruppe 210) によるものであった。同日、ドイツ空軍の約250機は、イギリス南部沿岸の港湾と工場を狙って出撃した。イギリスは、破壊されたレーダーに代わって目視による監視所からの情報で戦闘機50機を緊急発進したものの爆撃機邀撃には間に合わず、イギリス南部沿岸に大きな被害を受けた。一方でイギリス空軍の爆撃機軍団 (Bomber Command) もドイツ工業都市をつなぐドルトムント・エムズ運河に対して夜間爆撃を実施し、ライン川を経由する輸送航路の一時的な遮断に成功した。
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