ドイツ空軍入隊
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「アドルフ・ガーランド」の記事における「ドイツ空軍入隊」の解説
1912年3月19日、ヴェストファーレンのヴェステルホルトにラインラント人として生まれた。17世紀末の宗教迫害からフランスを逃れた新教徒(ユグノー)の子孫の一人である。四人兄弟の次男であった。幼少から空に対して強い憧れを抱いていたガーランドは、十代の頃からグライダーを飛ばしていた。 1932年、ゲルゼンキルヒェン=ブーア(ドイツ語版)のヒンデンブルク・ギムナジウムを卒業したガーランドは、ブラウンシュヴァイクのルフトハンザ航空学校に入学した。ルフトハンザは民間航空であったが、極秘裏に再建中のドイツ空軍のパイロット養成を担当していた。ガーランドはイタリアで戦闘機パイロット訓練を受けた。1934年、航空学校を卒業したガーランドは少尉に任官した。空軍が禁じられていたためドレスデン第10歩兵連隊に配属された。 1935年、アドルフ・ヒトラーはヴェルサイユ条約の破棄及び再軍備を宣言し、ヴァイマル共和国軍はドイツ国防軍に改組された。また国防軍の一軍種たるドイツ空軍も公式に設置され、ガーランドは第2戦闘航空団リヒトホーフェンに配属された。同年10月、訓練中にガーランドは墜落事故を起こして負傷する。顔面を計器板にめり込ませ鼻が砕けて歪み、本人曰く「母親が見ても自分と気が付かない」ほど顔が変わってしまい、片方の目の視力も大きく落ちた。医者は操縦不適と判断したが、ドイツ空軍にとって貴重なパイロットであり、ガーランドの強い要望もあって飛行を続けることが許された。ガーランドによれば視力表を全て覚えて凌いだという。
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