ドイツ管理下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/27 13:58 UTC 版)
「シール (グランパス級潜水艦)」の記事における「ドイツ管理下で」の解説
シールは、フレゼリクスハウンで航行可能な状態まで応急修理が施され、その後キールへ曳航されて行った。カールス提督は、シールを戦利品と認め、同じ費用をかければ優秀な新しいドイツのUボートが3隻建造できるであろうにもかかわらず、これを運用可能な状態に修理すべきであると主張した。装備品と装甲は全く互換性が無く、補修部品を入手できる当てがなかったにもかかわらず修理は決行され、1941年春にシールはブルーノ・マーン(Bruno Mahn)中佐指揮のUBとしてドイツ海軍に就役した。52歳のマーンは、第二次世界大戦に従軍したドイツ海軍で最年長の潜水艦艦長であった。艦はプロパガンダの展示用と訓練艦として使用されたが、クルップ社が全般の機械機構を製造するのには1942年遅くまでかかった。訓練航走では多くの不具合が露呈し、費用も非現実的な額であったことから1943年半ばには払い下げられ、装備品を取り外されてからキールの造船所の片隅に放置された。後にこの艦は、アドミラル・ヒッパーを沈めた連合国軍の航空攻撃と同じ攻撃で被弾、沈没した。ドイツ海軍にとり唯一の価値ある収穫は、英軍側魚雷の撃発装置の優秀な設計を特定できたことで、この設計を自軍の魚雷に取り入れた。
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