ドイツ系住民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 15:00 UTC 版)
「ビドゴシチ住民殺害事件」の記事における「ドイツ系住民」の解説
ポーランド侵攻が始まると多くのドイツ系ポーランド人は東方へ徒歩での移動を強いられた。ドイツ側はこのとき多くのドイツ系ポーランド人が故意に殺害されたと主張していたが、この期間はポーランド国内のさまざまな場所でドイツ空軍による無差別爆撃があり、ドイツ陸軍による激しい砲撃や路上の民間人の隊列に対する無差別の機銃掃射が行われたので、ポーランド側は亡くなった人々のほとんどはそういった戦争状態による犠牲者だと主張した。実際に数多くのドイツ系ポーランド人が証人となり、彼らに対するドイツ機による爆撃や機銃掃射、ドイツ陸軍の砲撃があったことを証言している。 ナチス・ドイツは1939年11月にポーランド侵攻時のドイツ系ポーランド人の死者数を5437人と結論したが、その後は国内外へ向けて反ポーランド感情を煽るプロパガンダ政策の推進のため1940年2月にはその死者数をさらに大幅に誇張して58,000人とし、最終的には60,000人以上として宣伝した。これらの数字はドイツ外務省を通じて発表された。しかし現在では、当時のドイツ系住民の死者数は亡くなった理由如何にかかわらずポーランド全土で5,000人程度と推定されている。
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