ドイツ統一の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:47 UTC 版)
1989年、ベルリンの壁が崩壊して東ドイツの社会主義体制が終焉すると、ソルブ人の民族評議会が召集され、自分たちとの対話と官製化したドモヴィナの改革を要求した。この要求は、1990年のドイツ再統一によって東ドイツを統合したドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)政府との間で続き、1991年にはドモヴィナから改組されて独立性を持ったソルブ人民財団が設立された。 連邦政府は旧東ドイツを5州1市に再編し、ラウジッツはブランデンブルク州とザクセン州に分割されたが、両州の憲法は少数民族としての権利をソルブ人に与えず、現在でもソルブ人は文化集団として認められていない。一方、ソルブ人はソルブ語を使う学校への通学、自治体でのソルブ語使用、道路や駅などの標識におけるソルブ語併記などが認められている。2005年には民族権利の擁護を目指すヴェンディッシュ民族党(英語版)が設立された。 なお、近年の研究ではソルブ人の63%に特殊なY染色体因子が確認され、これは他のスラヴ系民族との共通性が見られるとされている。
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