ドイツ統一への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 17:31 UTC 版)
「クルト・マズア」の記事における「ドイツ統一への貢献」の解説
ベルリンの壁崩壊につながったとされる1989年10月9日のライプツィヒの月曜デモにおいて、民主化を要求するデモ参加者が7万人に達し、秘密警察と軍隊の銃口が市民に向けられた際は、4ヶ月前に起きた天安門事件の二の舞になることを恐れたマズアは、東ドイツ当局に対して市民への武力行使を避け、平和的解決を要望するメッセージを発表した。この行動は当時国際的にも注目を集めた。また、ドイツ統一後の1994年5月にリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領が退任した際には、一時ドイツキリスト教民主同盟から大統領候補に擬せられたこともあった。 2009年10月9日、「無血に終わったことは奇跡」と評されたライプツィヒの「月曜デモ」から20年目にあたるこの日、ライプツィヒのゲヴァントハウスで、その20周年を祝う記念式典がおこなわれた。記念式典には、メルケル首相、ケーラー大統領、ティリッヒ・ザクセン州首相、ユンク・ライプツィヒ市長らが出席し、各要人のスピーチ、そしてマズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏のもと、ドイツ国歌斉唱に続き、20周年の記念コンサートがおこなわれた。
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