ドイツ統一後のプロイセン議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 14:46 UTC 版)
「プロイセン議会」の記事における「ドイツ統一後のプロイセン議会」の解説
ビスマルクによるドイツ統一事業で樹立された北ドイツ連邦やドイツ帝国には帝国議会(Reichstag)が設置されたが、帝国に加盟する各邦国の議会もそのまま存続した。帝国議会は男子普通選挙制度でその議員を選出することが定めていたが、プロイセン衆議院の三級選挙権制度が変更されることはなかった。 1860年代には「進歩的自由主義者の稜堡」と呼ばれたプロイセン衆議院もドイツ統一戦争成功後はすっかり空気が変わって保守派の永続的な支配の道具と化した。ドイツ保守党、自由保守党、国民自由党という親政府政党がプロイセン衆議院の過半数を維持し続け、ドイツ社会民主党がプロイセン政治に進出するのは極めて困難だった。 邦国代表から成る帝国上院連邦参議院(ドイツ語版)においては最大の大邦プロイセンが絶大な影響力を持っており、帝国首相もプロイセン首相を兼務するのが通常だったのでプロイセン議会の帝国政治への影響力は大きかった。
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