府政(大阪府議会)
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「自由民主党大阪府支部連合会」の記事における「府政(大阪府議会)」の解説
1955年の結党以来大阪府知事には1971年〜1979年に在任した黒田了一を除き、長らく自民党が公認または推薦した人物が当選し続けた。また大阪府議会においても最大会派の座を維持し続けてきた。 しかし、2008年の知事選挙で擁立し当選した橋下徹が、当時自民党所属であった松井一郎らと共に大阪維新の会を結党。多数の府議会議員が同党に参加したことにより大量の離党者を出した。 2011年の府議選では同党が57議席を獲得して大阪府議会史上初めて単独会派での単独過半数を獲得した。その一方で自民党の獲得議席は13に留まり、結党以来維持し続けてきた最大会派の座を明け渡してきた。 また橋下が同年11月実施の大阪市長選挙に出馬するに伴って辞職したことに伴って行われた知事選挙では無所属で出馬した元池田市長の倉田薫を支持したものの府議を辞職し大阪維新の会公認で出馬した松井にほぼWスコアで惨敗し府政においては完全な野党となった。 2015年に行われた府議選では改選前を9議席上回る21議席を獲得し、大阪維新の会の単独過半数獲得を阻止した。 同年11月に行われた知事選では府議を辞職し無所属で出馬した栗原貴子を推薦した。この選挙では、旧日本維新の会 の後継であるおおさか維新の会・維新の党・次世代の党を除く全国政党の支援を受けた(府知事選挙としては史上初めて日本共産党との共闘が実現した)。しかし自共共闘に対する猛烈な批判に遭ったことも影響して前回選挙で倉田が獲得した得票数よりも15万票減らして現職の松井に約100万票の大差をつけられて敗北した。 2019年4月に、松井が知事を辞職したことに伴う知事選挙では、元大阪府副知事の小西禎一を擁立した。小西は日本維新の会および同党と統一会派を組む希望の党を除く全ての国政政党が支援した。しかし、大阪維新の会公認で前大阪市長の吉村洋文に100万票を超える大差をつけられて落選した。また同日実施となった府議選では、維新の急先鋒と呼ばれ府議団幹事長であった花谷充愉が落選するなど、改選前から9議席減らし15議席に後退し、大阪維新の会に再び単独過半数を大きく超える議席の獲得を許した。 大阪維新の会の最重要政策である大阪都構想に対しては、大阪維新の会が結党する前においては後に同党に参加する松井など賛成派も反対派も共存していた。しかし同党の結党後に残った議員らは殆どが反対派で、2011年以降において一貫して反対の立場をとっており2015年の住民投票でも反対運動に対して積極的に参加していた。 しかし2019年の府議選で反対派の急先鋒となっていた府議団幹事長の花谷充愉など強硬な反対派が軒並み落選したことで今まで活動をしてこなかった(隠れ)賛成派の議員の割合が増加した。2回目の住民投票を前にした2020年6月頃には府議団としての賛成派が上回る事態が発生した。8月17日に自民府連が反対の方針を決定したが、21日の府議会本会議で大阪府会議員団の原田亮幹事長は賛成の立場で代表質問に立った。また、議決の際には府議団としては自主投票とし16名中5人が賛成に投じた。9月18日、原田に対して奴井和幸総会議長が府連の方針に反した活動をしていると厳重注意を行った。また、府連所属の国会議員などから「賛成したら次の選挙では支援しない」という趣旨の宣告を受けたこともあり実質的な活動を行うことは無かった。結局、2020年11月に実施された2回目の住民投票後に原田は幹事長を辞任した。
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