府政前半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:04 UTC 版)
就任後は公約に掲げた公害規制(いわゆる「ビッグプラン」)をはじめ、老人医療費や障害者医療費の無料化、「(郵便)ポストの数ほど保育所を」「十五の春は泣かせない」と掲げて保育所や府立高等学校の大幅な増設(1973年度だけで開校13校)など、低所得者層を重視した福祉政策を取っていくが、自民党や財界などからの批判を招いた。加えて同和行政を巡っては社会党との軋轢が激しく、もともと同党の大阪府本部は反共派(江田派)が多いこともあり、次第に同党は反黒田のスタンスを取っていく。 1975年府知事選では、民社党支持の全日本労働総同盟(同盟)大阪地方同盟のみならず、社会党支持の日本労働組合総評議会(総評)大阪地方評議会も反黒田で合意。公明党と共に桃山学院大学学長の竹内正巳を独自候補として擁立し、自民党も左藤知事での副知事だった湯川宏を擁立するが、大型開発よりも公害対策や福祉を重視した実績に府民の支持は厚く、共産党単独の推薦であったが各党の支持層に深く食い込み、45万票の大差で黒田が再選された。
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