ポーランド侵攻時(1939年頃)
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「機甲師団」の記事における「ポーランド侵攻時(1939年頃)」の解説
1939年4月1日に第10装甲師団が編成され、第二次世界大戦開戦時には装甲戦力として第1から第5及び第10の6個装甲師団及び第1から第4の4個軽師団が存在していた。 当時のドイツ軍が保有していた戦車は約3,000両。うち、中戦車であるIII号戦車は100両以下、IV号戦車も200両程度で、戦車大隊本部と4個中隊中1個中隊に優先的に配分され、残りの3個中隊は全て本来訓練用で機関銃と機関砲が主砲の豆戦車に近いI号戦車とII号戦車で構成されていた。チェコスロバキア軍から接収された35(t)・38(t)軽戦車300両弱で補完された。しかし、編成も机上の話で、1個装甲師団あたり16個中隊あるはずが、実際には12個中隊(充足率75%)しか編成できず、実際に大隊の下に置かれた中隊は3個であった。しかし、質・量共に戦車隊には問題が多かったが、ポーランドの機動戦力の主力は騎兵と豆戦車であり、十分対抗できた。新戦術電撃戦も成功し、ワルシャワ周辺の要塞も陥落させるなど、大戦果を挙げた。 砲兵部隊の大砲は、全て牽引式であった。
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