ポーランド侵攻後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/13 03:52 UTC 版)
「第17歩兵師団 (ドイツ国防軍)」の記事における「ポーランド侵攻後」の解説
ポーランドに勝利した後、師団はドイツ本国へ帰還した後、第13軍団の一部としてフランス侵攻に参加した。1940年夏には英本土侵攻に向けての訓練を行うも、この作戦は実行されず中止された。1941年、中央軍集団の一部としてバルバロッサ作戦に参加。1941年秋、モスクワの戦いに参加。この戦いで大きく消耗した師団は、1942年6月にフランスへと移動した。1943年4月、再び東部戦線に移動し、ミウス川、ニーコポリ、ウーマニ、キシナウ、ヤシなどで戦う。1944年8月、師団はポーランドに移動し、ヴィスワ川に設営されたソ連軍橋頭堡への攻撃に参加した。以後、1945年1月のヴィスワ=オーデル攻勢に晒され壊滅するまで、第17師団は戦い続けた。その後、敗残兵を元に再編成が行われ、1945年4月から5月にかけてゲルリッツ周辺で戦った。リーゼンゲビルゲ(Riesengebirge, 現在のクルコノシェ(英語版)にて敗戦を迎えた。
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