ポーランド人聖職者の訪日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:12 UTC 版)
「ポーランド」の記事における「ポーランド人聖職者の訪日」の解説
また、カトリック教会聖職者で、後にホロコーストの犠牲となったマキシミリアノ・コルベは戦前に日本で布教活動を行い、「けがれなき聖母の騎士会」を日本に導入した。同会の出版社「聖母の騎士社」や、コルベに続いて布教に訪日したポーランド人宣教師によって創設された仁川学院、聖母の騎士高等学校は21世紀を迎えた現在も存続している。 コルベとともに布教のために訪日したゼノ・ゼブロフスキー修道士は、長崎で原爆に被爆したのちも日本に留まり、戦災孤児など貧民救済に尽力した。 同じポーランド人の教皇ヨハネ・パウロ2世は1981年に訪日した際、病床のゼノに面会し、功績を称賛した。初めて訪日したローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はポーランド人であり、東京では「世界最初の原子爆弾の傷跡がいまだにはっきり残るこの国で、『あなたがたに平和』というキリストの言葉は、特別に力強く響きます。この言葉に私たちは答えなければなりません」と日本語で挨拶し、広島市と長崎市を訪問。広島においては「戦争は死です。生命の破壊です」と世界に平和の構築を訴えた。
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