ポーランド人学生の殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 22:59 UTC 版)
「ピーター・トービン」の記事における「ポーランド人学生の殺害」の解説
2006年9月、トービンはグラスゴーのアンダーストン(英語版)にある聖パトリック・ローマ・カトリック教会で雑役夫の職に就いていた。トービンは1994年に強姦と暴行で有罪になってから、暴力的及び性的犯罪者登録(英語版)に依然として登録されていたため、前科の発覚を防ぐ目的でパット・マクラフリン (英: Pat McLaughlin) という偽名を使っていた。トービンは警察に通知せずにペイズリーを離れており、2005年11月に逮捕状が出ていた。しかし、教会での殺人事件の被疑者になるまで発覚しなかった。2007年5月に犯罪者登録の協定の違反によりさらに30ヶ月の懲役の判決を受けている。 教会の牧師館に23歳のポーランド人の女学生が滞在していた。彼女はそこで清掃人として働くことで、グダニスク大学でのスカンジナビア研究課程の資金の助けとしていた。2006年9月24日に最後に生きている姿が目撃されたが、そのときはトービンと一緒にいた。その後、留学生は牧師館の車庫でトービンに襲われたと考えられている。留学生は殴打され、強姦された後に刺殺された。その後、遺体は教会の懺悔室の近くの床下に隠された。科学捜査により、学生は床下に放置されたときにはまだ生きていたと判明している。9月29日に警察は学生の遺体を発見した。それから間もなくトービンはロンドンで逮捕された。トービンには偽名と偽の病名が与えられて病院に収容された。 ストラスクライド警察(英語版)のデヴィッド・スウィンドル (英: David Swindle) 刑事局長の監督の下で証拠が集められ、これによりエディンバラにある刑事上級裁判所で2007年3月23日に裁判が開かれた。裁判は6週間かかり、2007年5月4日に終わった。裁判官はダンカン・メンジーズ(英語版) (英: Duncan Menzies) が務め、検察側は検察官のドロシー・ベイン(英語版) (英: Dorothy Bain) が指揮を執り、弁護人はドナルド・フィンドレー(英語版) (英: Donald Findlay) が務めた。トービンは強姦と殺人で有罪となり、最短21年で仮釈放となる終身刑の判決が下った。トービンに判決を言い渡す際、裁判官のメンジーズはトービンを「an evil man」 (直訳すると「邪悪な男」) と表現した。
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