被疑者(ひぎしゃ)
被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 08:57 UTC 版)
被疑者(ひぎしゃ)とは、捜査機関に犯罪の嫌疑をかけられており、かつ公訴を提起されていない者。容疑者(ようぎしゃ)とほぼ同じ意味だが、被疑者は日本法上の法令用語として、容疑者は犯罪報道や小説を含めた一般的な用語として使用されることが多い。また、これら被疑者 /容疑者のうち、逮捕された者に対する報道上の呼称として氏名の後に容疑者を付ける用法もある。
注釈
出典
- ^ 渡辺洋三「法とは何か新版」62ページ
- ^ 『記者ハンドブック 新聞用字用語集』(第13版)共同通信社、2016年、539-540頁。
- ^ 強制わいせつ報道「山口達也メンバー」にネットでは「暗黙のルール」と指摘。実際は… - 籏智広太、瀬谷健介、BuzzFeed News、2018年4月25日
- ^ 「山口メンバー」報道から振り返る、芸能人呼称の歴史 逮捕・書類送検で各社対応は?弁護士ドットコム 2018年4月29日
被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/30 07:38 UTC 版)
「フラント・ディンク暗殺事件」の記事における「被疑者」の解説
事件発生から32時間後、公表された犯人の画像を見て父親が当局へ通報したことにより、1990年生まれ、トラブゾン在住のオギュン・サマスト(トルコ語版)が事件の犯人として逮捕された。トラブゾンでは、前年にカトリック教会(英語版)司祭のアンドレア・サントロ(英語版)が、地元の民族主義者の少年に射殺されており、近年の極右運動家の主要なリクルート先にもなっていた。そしてサマストには、2004年にトラブゾンのマクドナルド店舗を爆破した前科を持つヤシン・ハヤル(英語版)という友人もいた。ほどなく、トラブゾン県知事ヒュセイン・ヤヴズデミルおよびトラブゾン警察署長レシャト・アルタイは職務を解かれ、その後アンカラから派遣された特別調査チームにより現地の調査が行われた。 20日中にサマストはディンクの殺害を自供したが、この段階ではサマストは犯行は個人的なものと供述していた。しかし、サマストのおじは取材に対して、イスタンブールについて知識のないサマストが独りで犯行に及ぶことができたとは思えず、サマストは利用されたのだと主張した。サマストは、ディンクが「トルコ人を侮辱した」ために殺害したと語り、後悔もしていないと供述した。メディアは、サマストが高校を中退しており薬物中毒の可能性もある、と報じた。その後、サマストはTV報道を見て初めて自身の行為の重大さを認識し、悔悟した様子で供述を終えたと報じられた。 ところが2月1日、勾留中のサマストが警官とともに、トルコの国旗の前で誇らしげにポーズをとっている映像がメディアに流出した。映像は議論を呼び、『ラディカル』編集者のイスメト・ベルカン (tr) は「これはディンクをもう一度殺すようなものだ」と語った。しかし、ほどなく配信元のTGRT(トルコ語版)は映像が偽造であったと認め、同社のディレクターらは引責辞任した。 同時期には事件に加担したとして他の6人の被疑者もトラブゾンで逮捕されていたが、その中でもヤシン・ハヤルが自分にディンクを殺害するよう焚きつけ、そして凶器も手配した、とサマストは供述した。そしてハヤルも、サマストに銃と金を与えたことを認め、「彼は義務を果たし、トルコの名誉を回復することを助けた」と述べた。また別の調査によれば、民族主義地下組織「エルゲネコン(エルゲネコン組織(トルコ語版))」の事件への関与も指摘されている。メンバーであった大佐のフェルハト・ヨズソイが、「フラント・ディンクの死だけでは充分でない」として、借金を抱えていた部下にディンクの妻子を暗殺するよう30万リラで持ちかけていたことが、エルゲネコン裁判(トルコ語版)の中で明らかにされている。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 02:05 UTC 版)
事件発生からおよそ3ヵ月後の8月28日、被疑者として21歳(当時)の男性が逮捕され、9月には強姦致死・殺人・放火・窃盗で起訴された。11月に行われた初公判では容疑を認めたが、翌年3月に行われた2回目公判からは否認に転じた。当初は、「極刑が予想される恐怖から、態度を変えた」と思われていた。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:44 UTC 版)
「沖縄うるま市強姦殺人事件」の記事における「被疑者」の解説
男(当時32歳)は2014年までアメリカ海兵隊に所属し、沖縄県内の基地にも駐留経験のあるアメリカ国籍の会社員だった。除隊後に日本の女性と結婚し、妻子と共に妻の実家がある沖縄県島尻郡与那原町に居住していた。
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「D.B.クーパー事件」の記事における「被疑者」の解説
1971年から2016年の間、FBIは千人を超える被疑者を扱ってきた。その中には売名屋と見なされている人物や、死に際に犯人であると告白した人物も含まれる。しかし、被疑者たちが犯人であることを示す証拠はせいぜい状況証拠しか見つからず、クーパー事件と被疑者を結び付けるものはどれも推測や根拠の薄い告発でしかない。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:19 UTC 版)
ロス・サリバン (英: Ross Sullivan) ゾディアック事件がシェリ・ジョー・ベイツ殺害と関係する可能性から注目された。サリバンはリバーサイド市立大学の司書補であり、同僚たちから疑いをかけられていた。同僚たちによれば、サリバンはベイツ殺害から数日間、行方をくらましていたという。サリバンはゾディアックの似顔絵と似ており、履いていたミリタリースタイルのブーツは靴跡がベリエッサ湖の犯行現場で発見された靴跡と似ていた。サリバンは双極性障害や統合失調症を理由に数回入院していた。 ローレンス・ケー (英: Lawrence Kaye、後にローレンス・ケーン <英: Lawrence Kane>) ゾディアックに誘拐されかけたとされるキャスリーン・ジョーンズは、警察が面通しとして提示した写真からケーンを選び出した。ポール・スタイン殺害後のゾディアックを目撃した可能性がある警察官のドン・ファウクは、ケーンは自分が見かけた男とよく似ていると発言した。ケーンはゾディアックの犠牲者の可能性があるドナ・ラスと同じネバダ州のホテルで働いていた。ケーンは1962年に事故に遭い、脳を負傷してから衝動制御障害と診断された。覗き見や徘徊で逮捕されたことがある。2021年、フランス系モロッコ人のビジネス・コンサルタントFayçal Ziraouiは13の記号の暗号を解読したと主張しており、暗号は"My name is Kayr"と読める、"Kayr"は"Kaye"の誤りである可能性が高いと発言している。 リチャード・マーシャル (英: Richard Marshall) 警察の情報提供者たちの主張によれば、マーシャルは自分が犯人であると個人的な会話で仄めかしていたという。マーシャルは1966年にはリバーサイドに、1969年にはサンフランシスコに住んでおり、ベイツ殺害やスタイン殺害の現場に近い場所に居た。マーシャルは熱狂的なサイレント映画の愛好家であり、映写技師だった。セグンド・デ・チョーモン(英語版、フランス語版)の1907年の映画The Red Phantomを上映していた。この映画の題名は、1974年にゾディアックが送った可能性のある手紙の名義に使われていた。ケン・ナーロー刑事はマーシャルを被疑者として有力視していなかった。 ジャック・タランス (英: Jack Tarrance) 2007年、デニス・カウフマン (英: Dennis Kaufman) は継父のタランスがゾディアックであると主張した。カウフマンはいくつかの物品をFBIに提出した。その中にはゾディアックが着ていたものと同じフードもあった。ニュースによれば、2010年にFBIはこれらの物品に対してDNA鑑定を実施したが、結論は出なかったという。 姓名不詳の水夫 2009年、元弁護士のロバート・ターボックス (英: Robert Tarbox、1975年8月に顧客への支払いの不履行を理由にカリフォルニア州最高裁判所により弁護士資格を剝奪された) が、1970年代前半にある水夫がターボックスの事務所を訪れて、自分がゾディアックであると告白したと主張した。ターボックスは守秘義務により水夫の名前を明かさなかった。水夫は見たところ明瞭な人物で、自身の犯行についてターボックスに話した。説明は手短だったが、ターボックスが話を信じるのに十分なほどの説得力があった。水夫は自分の殺人を止めようとしていると話していたが、二度とターボックスと会うことはなかった。ターボックスはバレーホ・タイムズ・ヘラルドに全面広告を出した。広告には、ターボックスはアーサー・リー・アレンの汚名を晴らすことになると書かれていた。アレンの濡れ衣を晴らすことが、ターボックスが30年前の会話を明かした唯一の理由であるという。ロバート・グレイスミスは、ターボックスの話は全体的に尤もらしいと評した。 リチャード・ガイコフスキー (英: Richard Gaikowski) 2009年、ヒストリーのテレビシリーズであるMysteryQuest(英語版)のあるエピソードで、新聞の編集者であるリチャード・ガイコフスキーが注目された。ゾディアック事件が起きていたとき、ガイコフスキーはサンフランシスコのカウンターカルチャー紙であるグッド・タイムズ(英語版)の仕事をしていた。ガイコフスキーの外見はゾディアックの似顔絵と似ていた。ブルー・ロック・スプリングスでの犯行の際にゾディアックからの電話を受けたバレーホ警察のナンシー・スローバーは、ガイコフスキーの声の録音を聞いてゾディアックの声と同じだったと認めた。 ジョージ・ラッセル・タッカー (英: George Russell Tucker) かつてカリフォルニア・ハイウェイ・パトロール(英語版)の隊員だったリンドン・ラファティ (英: Lyndon Lafferty) は、91歳のソラノ郡に住んでいた男性がゾディアックであると主張した。ラファティはその男性をジョージ・ラッセル・タッカーという偽名で呼んだ。ラファティは法執行機関の元職員で構成される「マンダマス・セブン」(英: Mandamus Seven) という集団を使ってタッカーの存在を見出し、タッカーが被疑者として追及されなかったのは隠蔽工作があったためであると主張した。タッカーは2012年2月に死亡した。警察から被疑者と見なされていないことを理由に、本名は明かされなかった。 ルイス・ジョセフ・マイヤーズ (英: Louis Joseph Myers) 2014年2月、ルイス・ジョセフ・マイヤーズが肝硬変により死の淵にあったとき、友人に自分がゾディアックであることを告白したと報じられた。この告白があったのは2001年のことである。マイヤーズは友人のランディ・ケニー (英: Randy Kenney) に、自分が死んだ後にすぐに警察に行くように求めた。マイヤーズは2002年に死亡した。しかし、ケニーの主張によれば、警察の協力を得て、話を真剣に取り合ってもらうのに難があったという。マイヤーズはゾディアック事件の被害者であるデービッド・ファラデーとベティー・ジェンセンが通っていた高校の出身だった。被害者のダーリーン・フェリンと同じレストランで働いていたとされる。1971年から1973年の間、マイヤーズは軍役で海外に駐在していたが、この時期はゾディアックからの手紙が届かなかった。ケニーによれば、マイヤーズがカップルを標的としたのは、恋人との関係が悪くなって別れたためであると告白したという。事件に関係した警察官はケニーの主張を懐疑的に見ているが、ケニーが確かな証拠を用意できれば、捜査するだけの説得力はあると考えている.。 ロバート・イヴァン・ニコルズ (英: Robert Ivan Nichols、ジョセフ・ニュートン・チャンドラー3世(英語版) <英: Joseph Newton Chandler III>) ニコルズは公的には身元が判明しておらず、身元を成り済ました人物だった。ニコルズは2002年7月にオハイオ州イーストレイク(英語版)で自殺した。ニコルズの死後、捜査官たちはニコルズの家族の居場所を調べたが特定できず、また、ニコルズは1945年にテキサスで車の衝突により死亡した8歳の少年の身元を奪っていたことを発見した。長期間、身元を偽っていたことから、ニコルズは逃亡犯だったと推測された。2018年7月21日、連邦保安官は記者会見でニコルズの身元について発表した。インターネット上では、ニコルズがゾディアックだった可能性があるという説が話題に上がった。ニコルズがゾディアックの似顔絵に似ていたことと、ゾディアックが暗躍していたカリフォルニア州に住んでいたことが理由である。 アール・ヴァン・ベスト・ジュニア (英: Earl Van Best Jr.) 2014年、ゲアリー・ステュワート (英: Gary Stewart) がThe Most Dangerous Animal of Allという書籍を出版した。この書籍で、ステュワートは実父であるアール・ヴァン・ベスト・ジュニアを捜索した結果、ヴァン・ベストがゾディアックであると気が付いたと主張した。その理由として、犯人のモンタージュ画の顔がそっくりである点に加え、犯行声明文に『ミカド』からの引用文があるが、著者の祖父はメソジスト系の海軍従軍牧師であり、戦前まで青山学院を本拠地に宣教活動をしていた。さらにアールは両親とともに日本で暮らした経験があり、『ミカド』の一節をよく口ずさんでいたという親戚の証言があること、戦時中日本軍の暗号解読の任務についていた祖父の影響で、実父も暗号作りの遊びをよくしていたこと、被害女性たちが著者の実母に似ていること、指紋の傷が同じであることなどを挙げている。同書では父親がゾディアックであるという確証は示されていない。だが、2017年、日本のテレビ番組『奇跡体験!アンビリバボー』において、これらに加えてDNA鑑定と筆跡鑑定を行っていることを明かした。警察に依頼したDNA鑑定の結果は知らされておらず、民間の鑑定人に依頼した筆跡鑑定については、「同一人物である可能性が非常に高い」との結果を得ていると言う。2020年、The Most Dangerous Animal of AllがFXでドキュメンタリー・シリーズとして翻案された。 マンソン・ファミリー チャールズ・マンソンとそのカルト集団が逮捕された後、カリフォルニア州捜査局(英語版)の1970年の報告書によれば、マンソン・ファミリーの男性メンバーは全員、ゾディアックの正体の可能性が調査されたが、結局は除外されたという。 セオドア・カジンスキー セオドア・カジンスキーは1996年にゾディアックとの関係性を調査された。ゾディアック事件が起きていたとき、カジンスキーはゾディアックが暗躍していたカリフォルニア州の北部で仕事をしていた。また、暗号に関心があり、報道機関に自分の著作を出版するように脅しをかけていた。FBIとサンフランシスコ市警察は指紋や筆跡を比較した結果からカジンスキーがゾディアックである可能性を否定した。ゾディアックが活動していたある時期にカリフォルニア州に居なかったこともその根拠になった。 エドワード・エドワーズ(英語版) (英: Edward Edwards) エドワード・エドワーズは1977年から1996年にかけて5人を殺害した。元刑事で未解決事件を担当していたジョン・A・キャメロン (英: John A. Cameron) は、エドワード・エドワーズをゾディアック事件などの数件の未可決事件と関連付けた。キャメロンの説は特に法的執行機関から見向きもされなかった。 ジョージ・ホーデル(英語版) (英: George Hodel) 元刑事のスティーブ・ホーデル (英: Steve Hodel) は自著The Black Dahlia Avengerで、自分の父親であるジョージ・ホーデルがブラック・ダリア事件の犯人であると主張した。この書籍により、以前は非公開だったファイルやワイヤレコーディングがロサンゼルス郡検事事務所により公開された。これにより、ジョージ・ホーデルは実際にブラック・ダリア事件の主要な被疑者だったことが明らかになった。その後、地方検事のスティーブ・ケー (英: Steve Kaye) が手紙を書き、この手紙が改訂版に収録された。手紙には、ジョージ・ホーデルが存命であれば、ブラック・ダリア事件で起訴されていただろうと書かれていた。スティーブ・ホーデルは追補する書籍で、ジョージ・ホーデルがゾディアックであることを示す状況証拠があると主張した。根拠として、警察の似顔絵、ゾディアックの手紙との類似点、筆跡鑑定を挙げている。 Giuseppe Bevilacqua 2018年、イタリアのジャーナリストFrancesco Amiconeは、フローレンス・アメリカ人墓地の管理長だったGiuseppe Bevilacquaがゾディアックの正体であり、フィレンツェの怪物事件の犯人であると主張した。Amiconeの主張によれば、2017年9月11日にBevilacquaは自分が両事件の犯人であることを告白したという。2021年、フィレンツェの怪物事件を担当していた検事のLuca Turcoの要求により、Amiconeの主張により実施されていたBevilacquaに対する捜査が終了した。TurcoはBevilacquaに対する名誉棄損でAmiconeを訴えた。 デニス・レイダー(Dennis Rader) 2015年、フロリダの元保安官代理キンバレー・マグガースは、各種の状況証拠に基づいて、「BTK絞殺魔」として知られる受刑者こそがゾディアックであるという著書を発表した。
※この「被疑者」の解説は、「ゾディアック事件」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:10 UTC 版)
「ニューオーリンズの斧男」の記事における「被疑者」の解説
犯罪にまつわる著作で知られる著述家のコリン・ウィルソンは、斧男の正体はジョセフ・マンフリー (英: Joseph Momfre) の可能性があると推測している。この人物は1920年12月にロサンゼルスで銃殺された。銃殺した犯人は、斧男の最後の犠牲者として知られるマイク・ピペトーンが残した妻だった。ウィルソンの説は他の犯罪にまつわる書籍やウェブサイトで広く言及されている。しかし、著述家のマイケル・ニュートン(英語版) (英: Michael Newton) は、ニューオーリンズやロサンゼルスの警察や法廷の記録、新聞を調査したが、「ジョセフ・マンフリー」という名前の男 (または類似の名前の人物) がロサンゼルスで襲われた、または殺害されたというような証拠は発見されなかった。ニュートンはマンフリーを殺害したというペピトーンの妻についても調査した。ペピトーンの妻の名前はエスター・アルバーノ (英: Esther Albano) であるという情報源もあるが、単に「ペピトーンの未亡人と主張する女性」とだけ呼称する情報源もあった。調査の結果、ペピトーンの妻が逮捕された、マンフリー殺害の罪で裁判にかけられた、有罪となった、そもそも実際にカリフォルニアにいたということを裏付ける情報は見つけられなかった。ニュートンは「マンフリー」という姓はこの事件があった当時のニューオーリンズでは稀なものではなかったことに言及している。実際にニューオーリンズにはジョセフ・マンフリーというような名前の人物がいて、その人は犯罪歴があったり、組織犯罪と関係があったりしたのかもしれない。しかし、その時代の地元の記録は、このことを確認できたり、確信的にその人物の身元を特定できたりするほど詳細には書いていない。ウィルソンの説明は都市伝説であり、事件があった当時と比べると、現在は斧男の正体の証拠となるものはこれ以上存在しないという。 斧男の初期の犠牲者と言われているイタリア人のシャンブラ (英: Schiambra) 夫妻は、1912年5月16日の早朝にロウワー・ナインス・ワードにある自宅で侵入した犯人に銃で撃たれた。夫は生き延びたが妻は死亡した。新聞で数回、主要な被疑者は「マンフリー」という名前の人物であると言及された。斧男の普段の手口とは根本的に異なるが、ジョセフ・マンフリーが本当に斧男だとすれば、シャンブラ夫妻も後に連続殺人者となる人物の初期の被害者だったということになる。 学者のリチャード・ワーナー (英: Richard Warner) によれば、この事件の第一の被疑者はフランク・"ドク"・マンフリー (英: Frank "Doc" Mumphrey、1875年 – 1921年) であり、別名としてレオン・ジョセフ・マンフリー (英: Leon Joseph Monfre/Manfre) という名を使っていたという。
※この「被疑者」の解説は、「ニューオーリンズの斧男」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 04:28 UTC 版)
ジーンによれば、被疑者は背が高く、痩せていて、身なりの良い若い男だった。髪は赤みがかかっていたか金髪で、年齢は25歳から30歳、身長は180センチメートル弱だった。この人物は「ジョン・テンプルトン」 (英: John Templeton) 、「ジョン・センプルソン」 (英: John Sempleson) または「ジョン・エマソン」 (英: John Emerson) と名乗っており、礼儀正しく上品な言葉遣いをしていた。自身はカトリックでもプロテスタントでもないと述べていたが、自宅へ向かうタクシーでの会話で聖書から言葉を引用した。ジーンは捜査官に、3人でタクシーに乗っている間に、この人物はジーンの存在を不都合に思っていることが徐々に露骨になっていたとも述べていた。タクシーに乗っている間に、この人物はアルコールを飲まないようにしているのは両親の厳格な態度からそのように習慣付けられているためと述べ、"I don't drink at Hogmanay. I pray." (直訳すると「ホグマネイでは飲まない。お祈りする」) と言った。さらに自分の父は、ダンスホールは"dens of iniquity" (直訳すると「悪の巣窟」) であり、このような場所によく訪れる既婚女性は根から"adulterous" (日: 不義) であると考えていると述べた。 ジーン・ラングフォードによれば、ヘレン・パトックと一緒にいた男性は痩せていて背が高く、レイド・アンド・テイラーの仕立ての良い茶色のスーツを着ており、エンバシー(英語版)という銘柄のタバコを吸っていたという。また、グラスゴーのヨーカー(英語版)地区で酒が飲める店をいくつかよく知っていると述べ、研究所で働いていたことがあるとも発言した。独特の顔の特徴としては、前歯が重なっているなどの点を挙げた。その一方で、バローランド・ボールルームの用心棒はジーンによる説明のほとんどが間違っているとして、ヘレンと一緒にいた男性は背が低く、上品な言葉遣いをしていて、髪が黒いと主張した。 この男性を最後に目撃した可能性のある人物に、深夜バスの運転手と車掌が挙げられる。この2人の人物の証言によると、ラングフォードの証言に合致する若い男性が、10月31日の午前2時頃にダンバートン・ロードとグレイ・ストリートの交差点でバスを降りたという。その男性は身なりがひどく乱れた状態で、ジャケットに泥の染みがついており、鈍い赤色の汚れが目のちょうど下の頬のところに付着していた。その男性は度々片方の袖をジャケットの袖の中に短く捲り上げていた(男物のカフスリンクがヘレン・パトックの遺体のそばで発見されている。クライド川を渡って都市の南側へ向かう公共の渡船施設の方向へ歩いていく姿が最後に目撃された。
※この「被疑者」の解説は、「バイブル・ジョン」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:24 UTC 版)
「島根女子大生死体遺棄事件」の記事における「被疑者」の解説
捜査は難航していたが、2016年の頭から過去に性犯罪歴のある人物を捜査し直していた所で事件当時益田市に在住していた被疑者が浮上。男は事件から5年前の2004年に通りかかった女性にわいせつな行為をしようとしてけがをさせるなど3つの事件を起こし、懲役3年6ヶ月の判決を受けていた。被疑者と被害者との間に接点は無かった。被疑者は遺体が見つかった2日後の2009年11月8日に山口県内の高速道路で事故死したが、遺品であるデジタルカメラとUSBメモリから死亡直前に削除されていた画像を復元し、行方不明後の被害者の遺体や包丁など57枚の画像が確認された。 被疑者の特定に至った決定打とされる画像は複数枚あるが、中でも被疑者宅の壁や風呂場を背景に被害者が撮影されていた画像データが揺るがぬ証拠となった。 2016年12月20日、島根県警察・広島県警察合同捜査本部は、被疑者を殺人・死体損壊・死体遺棄罪で、松江地方検察庁に事件を送致。 2017年1月、松江地検が被疑者死亡で不起訴処分。
※この「被疑者」の解説は、「島根女子大生死体遺棄事件」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 05:27 UTC 版)
「広島中央署8572万円盗難事件」の記事における「被疑者」の解説
盗難が発覚してから間もなく、4月から広島県警察本部に異動した後に体調を崩して休職していた36歳の男性警部補が、同僚から多額の借金を背負っていた事が発覚した。このため、5月15日から9月11日まで9度にわたり任意で聴取を行い、嘘発見器も利用したものの、関与を否定し続けた。 その一方で同僚には、なかば「自分がやった」と関与をほのめかしていたという。その証言を元に自宅を家宅捜索したが、現金は発見できなかった。その後、『山中に埋めた』『人知れぬところで燃やした』などの証言は引き出せたものの、現金の行方については口を割らなかったという。 動機について、広島中央署の幹部の名前を挙げて、『許せない』『困らせてやろうと思った』などと証言したという。事件後、一部の借金を返しているが大きな金額ではなく、今も大半の現金の行方は不明である。
※この「被疑者」の解説は、「広島中央署8572万円盗難事件」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:44 UTC 版)
後に被害者を轢き殺したとして起訴される遠藤祐一(えんどう ゆういち)は、宮城県岩沼市に在する建材メーカー内の運送会社出張所に勤務する、当時20歳のトラック運転手であった。運転する車は1973年式(初代)いすゞ・フォワードSBR型ロングボディ、最大積載量4.5トンの平ボディ中量級車である。
※この「被疑者」の解説は、「遠藤事件」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 05:48 UTC 版)
「宇都宮市連続爆発事件」の記事における「被疑者」の解説
陸上自衛隊で気象予報官を長年にわたり務めたほか、所属していた航空学校宇都宮分校では地上訓練機班長として訓練に使用するためのフライトシミュレーターの改修、パソコンのCPUの改良などの業務も行った。 2017年8月23日に栃木県警から殺人未遂、爆発物取締罰則違反(爆発物使用)、非現住建造物放火の容疑で被疑者死亡のまま宇都宮地方検察庁に書類送検され、同年12月5日に宇都宮地方検察庁から被疑者死亡で不起訴処分を受けた。
※この「被疑者」の解説は、「宇都宮市連続爆発事件」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 16:42 UTC 版)
「ソマリア沖商船三井タンカー襲撃事件」の記事における「被疑者」の解説
逮捕時の報道によれば、4人は若い順にA(20歳)、B(21歳)、C(23歳)、D(28歳)で、いずれもソマリ語を話すソマリア人の男である。但し、本人の供述で21歳だと考えられた男は実際のところ未成年である可能性が出てきた、年齢や国籍を「20年前の雨期に生まれた」などの曖昧な表現でしか語らないなど、本人から確かな証言は得られず、CとDについては初公判で生年月日を聞かれた際、「分からない」「月日は分からない」と答えている。年齢が判然としないのには彼らが住んでいた当時のソマリアでは戸籍のようなものを作っていないため、ソマリア政府から回答が得られないという実情がある。彼らの風貌について、海上保安庁捜査隊の1人は、「海賊たちはごくふつうの若者に見えましたね」と語っている。
※この「被疑者」の解説は、「ソマリア沖商船三井タンカー襲撃事件」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 00:28 UTC 版)
「新潟市タクシー運転手強盗殺人事件」の記事における「被疑者」の解説
捜査本部は被害者のタクシーに乗車した最後の客を被疑者と推測。新潟駅前の防犯カメラに録画されていた動画を一般公開し、情報提供を呼びかけている。 年齢:10代後半から20代前半くらいの男 身長:165センチメートル前後 体格:痩せ型 服:黒っぽい上着に白色の2本線が入った黒っぽいジャージーズボンを着ていた。 靴:サンダル履き 所持品:黒色の手提げバック、ビニール傘 2015年5月には、別の角度から男を捉えた新たな映像も公開された。
※この「被疑者」の解説は、「新潟市タクシー運転手強盗殺人事件」の解説の一部です。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:35 UTC 版)
被疑者として浮上したのは、事件現場の隣室202号室に住む輿掛良一であった。 輿掛は1956年(昭和31年)5月9日、大分県大野郡大野町(現豊後大野市)に生まれた。実家は農家であった。第4子として生まれた長男であったため可愛がられて育ち、幼いころは明るく活発な子どもであったという。しかし、小学校4年生の時に父が糖尿病となって入退院を繰り返すようになると生活は一変し、中学に入ると、母が父の看病のために大分市に移ったため、姉の2人との3人暮らしとなった。中学校2年生の2学期からは不登校となり、その際に自閉精神病質と診断されて投薬治療を受けている。翌年、母親と大分市内のアパートに一緒に住むようになって大分市立王子中学校に転校。1年遅れで中学を卒業して大分電波高等学校(現大分国際情報高等学校)に進むと、同校で知り合った友人とバイクを乗り回すようになった。高校時代には恋人もできている。高校もさらに1年遅れで卒業したあとは航空自衛隊に入隊し、初期教育が終わると1977年(昭和52年)8月に築城基地に配属された。新入隊員としてただ一人銃剣道の基地代表の一人に選ばれた輿掛は、先輩から特に目を掛けられて世話になっている。しかし、1980年(昭和55年)1月13日、飲酒運転で車が大破するほどの事故を起こし、輿掛自身は鎖骨の骨折で済んだが、自衛隊は退職せざるをえなかった。 その後、いくつか職を転々としたあと実家に戻り、同年10月1日から市内のホテルに飲料部のウェイターとして働き始めた。なお、同年9月には父が亡くなっている。高校時代からの恋人とすでに別れていた輿掛は、同じホテルの洋食店で働く恋人ができた。相手は高校を卒業したばかりの19歳で、彼女は、身長170センチ・体重65キロでのっそりとしたところのあるパンチパーマの輿掛のことを「おっさん」と呼んでいた。この新しい恋人の女友達が、偶然にも輿掛の高校時代からの友人の交際相手で、2人はアパートを借りて同棲していた。新しい恋人に「私たちも一緒に暮らしたい」とせがまれた輿掛は、1981年(昭和56年)4月20日からみどり荘の202号室で同棲を始めた。二人の交際・同棲は、双方の親も公認の仲であった。 事件のあった前日の1981年(昭和56年)6月26日は輿掛も恋人も早番勤務で、15時に勤務が終わって友人も含めて3人でパチンコに行ったあと、友人宅や喫茶店に寄って深夜に帰宅し、セックスをして寝た。翌6月27日は二人とも休みで、昼ころに一度起きてセックスをして再び眠り、15時ころに起床している。恋人が一緒に夕食の買い出しに行こうと誘ったのを輿掛が断ったことを発端に口論となり、恋人が以前から不満であった生活費のことで言い争いになったあげくに、恋人は実家に帰ると言って部屋を飛び出して行ってしまった。口喧嘩はしょっちゅうの二人ではあったが、部屋を出て行ったのは二人が同棲してから初めてのことであった。 事件当夜、輿掛は恋人が出て行った部屋に一人でいた。そして、事件現場の北隣の205号室の住民だけでなく、201号室や空き地を挟んだ住宅の住民も大きな音を聞いているにも関わらず、南隣の202号室の輿掛が「酒を飲んで寝ていて何も聞いていない」というのは不自然であった。さらに、事件の数日後には、102号室の住民が「ドタンバタンという音がしなくなったあとで、201号室か202号室の風呂で水を流す音を聞いた」という内容を証言している。
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被疑者
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「別府3億円保険金殺人事件」の記事における「被疑者」の解説
荒木虎美は旧姓を山口といい、1927年(昭和2年)3月9日、大分県南海部郡青山村(現:佐伯市)に生まれた。実家は1.7ヘクタールの田畑と山林を持つ比較的裕福な農家であった。後に妹が2人生まれ、3人兄妹の長男として育ち、幼いころから秀才として知られていた。1943年(昭和18年)12月に津久見町立工業学校を繰り上げ卒業すると海軍に進み、指宿基地の整備士などをして終戦を迎えた。山口自身は、海軍飛行予科練習生となり特別攻撃隊に選ばれて指宿基地から2度出撃したがエンジントラブルで果たせず、終戦時は詫間基地で一等飛行兵曹だったと語っている。 山口は1947年(昭和22年)秋に隣村の娘と結婚し、1948年(昭和23年)に新制青山中学校の代用教員となった。生徒には人気があったが、1949年(昭和24年)2月、妻とは別に交際していた村の娘を妊娠させてしまい、佐伯市内でもぐりで堕胎をしていた鍼灸師に中絶させた。ところが、その際に娘が鍼灸師に強姦されたことを知ると、駐在所の巡査になりすまして「医師法違反と堕胎罪を世間にばらす」と迫り、この鍼灸師に堕胎費用として渡していた1500円のうちの800円を脅し取った。この事件が発覚して逮捕され、代用教員の職を失った。ただし、知人には、左翼運動で共産党に近づいたため思想犯として弾圧を受けたと話していた。村では山口に同情する声があがり、減刑嘆願の署名運動も行われたものの、同年末に懲役1年2月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。 その後、別府市に移って精肉店を営むもうまくいかず、1950年(昭和25年)2月には火事で店が全焼した。山口は保険金として16万2500円を受け取った。この火事は、山口による失火として処理されようとしていた。しかし、火事の2週間前に火災保険がかけられていることなどに別府区検察庁の副検事が疑問を抱き、放火罪と保険金詐欺で起訴された。山口は失火は認めたものの放火と保険金詐欺については犯行を否認して最高裁まで争ったが、火災発生時に山口が店にいたという目撃者が現れたことなどから最終的に懲役8年の実刑判決を受けて服役した。この時も山口は、反権力活動に邁進していたのが権力側に目障りになったためでっち上げられたものと主張した。なお、この裁判では、保釈中に青山村の郵便局に忍び込んで為替用紙を盗み証書を偽造したとして逮捕され、放火事件と併合審理されている。 山口はサンフランシスコ講和条約発効の際の恩赦により減刑されて5年半で仮出所すると不動産業を始めた。しかし、その後も1966年(昭和41年)4月に公文書偽造・同行使事件(懲役1年6カ月、執行猶予5年)、1967年(昭和42年)7月には不動産業の共同経営者の妻との不倫トラブルに絡んで婦女暴行、傷害、脅迫事件(懲役3年6カ月)を起こして服役し、1972年(昭和47年)11月に宮崎刑務所を出所した。さらに、1973年(昭和48年)1月には恐喝未遂事件を起こし、転落事故当時は、懲役6カ月の判決を受けて上告しており、保釈中の身であった。 山口は、最初の妻との間に2人の子どもをもうけたが、火災保険詐欺の裁判で不利な証言をしたことに激怒して1960年(昭和35年)に離婚していた。その後、離婚した妹の娘を「子連れでは再婚に差し支えるだろう」と養女としていた。1972年(昭和47年)11月に宮崎刑務所を出所した山口は、別府市内で不動産ブローカーとして生計を立てた。といっても、不動産業として県知事の認可を受けたものではなく、不動産取引に口をはさんでは仲介料や手数料をせしめるものであった。そのような中、山口は生活保護を受給しながら3人の子どもを育てる未亡人と知り合い、約1年の交際を経て1974年(昭和49年)8月1日に籍を入れた。子どもたちへの配慮から山口が婿養子の形で妻の戸籍に入って荒木姓を名乗り、あわせて、その連れ子3人とも養子縁組を結んでいた。 荒木は、あらゆる裁判において起訴事実を否認し、最初の恐喝事件以外のすべての裁判で最高裁まで争っていた。このため、九州の司法関係者の間では「九州一のワル」「犯罪のプロ」などの名で知られていた。荒木虎美と言われてもピンとこなかった捜査員も、彼の顔を見、旧姓が山口と知って身構えた。
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被疑者
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「オスカー・スレイター事件」の記事における「被疑者」の解説
スレイターは1872年1月8日にプロイセン王国シュレージエン州(ポーランド語版)オペルンで、オスカー・ヨーゼフ・レシュツィナー (Oscar Joseph Leschziner) として、パン屋を営むユダヤ人の両親の下に生まれた。本人の弁によれば6人兄弟の1人で、かつてはハンブルクの銀行にも勤めていたが、徴兵年齢に達する頃にそれを逃れてイギリスへ渡ったという。名前を変えたのはイギリス人にも発音しやすくするためとされるが、その他に「ジョージ」や「アンダーソン」などの偽名も使い分けていた。表向きには宝石商と歯科医を名乗っていたが、実際にはあちこちの街を渡り歩いて賭場を経営しており、愛人に売春をさせて生活しているとも噂されていた。 スレイターは1908年10月29日にロンドンからグラスゴーへ着き、11月6日からセント・ジョージズ・ロードのフラットに愛人・使用人とともに入居していた。事件当時のスレイターは37歳手前、身長5フィート8インチでがっしりとした体格を持ち、紛れもない外国人の風貌と特徴ある鼻をした男であった。
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被疑者
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沙羅と同時期に様々な罪状で勾留されていた被疑者達。沙羅と下記の3人以外にも複数人いる。ナレーション曰く、3人共刑に服し、後に更生したらしい。 木村英美(きむら ひでみ) 留置番号231。窃盗犯。小太りな女性で、過去にも捕まったことがある。 市川奈緒(いちかわ なお) 留置番号242。傷害罪。ヤンキー風の女性。仙台出身で冷やし中華には、非常に強いこだわりがある。 水野椎菜(みずの しいな) 留置番号247。覚せい剤取締法違反。栃木県宇都宮出身。
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被疑者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 15:35 UTC 版)
「ベラ・ボンド殺害事件」の記事における「被疑者」の解説
ボンドの母親は薬物の常用者として知られ、他に2人の子供の親権を剥奪されていた。過去に複数の逮捕歴があり、売春の前科もあった。警察は、母親が自分の娘をネグレクトしているという通報を受けたことがあり、ボンドの母親とは4回別個に面会したことがあると声明した。遺体の身元が公表された後、ボンドの家族への尋問が行われた。ボンドのおばはベビー・ドゥがボンドであると疑ったことはないと述べ、母方の祖母はボンドが生まれていたことさえ知らなかった。子供・家庭局はボンドに関する2件のネグレクトの通報に対応したことがあり、どちらの事案についても対応は終了していた。 警察は、ベビー・ドゥは殺人被害者であり、母親の愛人をボンドの殺害で告発したと公表した。警察は母親がボンドの死を隠蔽して愛人を援助したと考え、母親も共犯で告発した。自分の娘が死亡したと知っていながら約1,400ドルの福祉の給付を受け取っていたことから、母親は窃盗の容疑でも告発された。母親は住宅手当も受け取り続けていた。2人は2015年9月21日に罪状の認否を問われた。母親の保釈金は100万ドルと設定された。愛人は保釈を認められなかった。
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被疑者
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「2017年サンクトペテルブルク地下鉄爆破テロ事件」の記事における「被疑者」の解説
ロシアとキルギスの諜報機関は、このテロを首謀した被疑者として、22歳のキルギス系ロシア人のアクバルジョン・ジャリロフ (Акбаржон Джалилов) を特定した。ジャリロフは1995年にキルギスのオシに生まれ、2011年頃、モスクワにやってきた。ロシア紙のモスコフスキー・コムソモーレツによれば、Gazeta.ru(英語版)が、ジャリロフは2015年に寿司屋で調理人として働いていたと報じているという。一方で、他の情報源によれば、テロの数週間前に失踪するまで自動車修理工場で働いていたとしている。
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被疑者
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誘拐事件の5ヶ月後、12月13日、日曜日の夜、裁判官チャールズ・ヴァン・ブラント(Judge Charles Van Brunt)の、ブルックリン、ベー・ブリッジ(Bay Ridge)の家が泥棒にはいられた。チャールズの兄弟ホームズ・ヴァン・ブラント(Holmes Van Brunt)が、となりに住んでいて、ショットガンで武装して、侵入者を止めようと家族を集めた。彼らがヴァン・ブラントの家にはいると、2つのランタンが消え、それにつづいて激しい銃撃戦になり、ホームズと仲間がその場で強盗犯2人をしとめた。賊はビル・モシャー(Bill Mosher)とジョー・ダグラス(Joe Douglas)、釈放されたばかりの職業的犯罪者であった。モシャーが即座に殺され、ダグラスは致命傷を負いながらも2時間ほど生き、ホームズと意思の疎通をすることができた。居合わせたものはみな、この経験に動揺し、正確にダグラスが何を言ったのかにかんしてはっきりした意見の一致はない。大半の者は、ダグラスは、嘘をついても無駄だ(彼は致命傷を負ったことはわかっていた)から自分とモシャーはロスを誘拐したと言ったということでは一致した。彼のそれ以上の発言のほうが、もしあれば、いっそう論争を引き起こしている。彼は、ロスは殺されたと言ったか、でなければモシャーはロスのいどころを知っていると言ったかのいずれかで、ことによると自分はにさん日ちゅうにロス家に無傷で戻るだろうと付け加えたかもしれない。いずれにせよ、彼はロスのいどころの手がかりを与えず、その後まもなく死去した。ウォルター・ロスは、モシャーおよびダグラスの遺体を見て、2人が馬車に乗っていた男らであるかどうか確認するためにニュー・ヨーク・シティーに連れて行かれた。ウォルターは、彼らが、過ぐる夏に家の前から男児らを連れていったその人物であると確認した。とくにモシャーは、目立つ奇形の鼻をしていたから、すぐに見分けられ、それをウォルターは警察に「サルの鼻」("monkey nose")と説明した。(モシャーの鼻の軟骨は、梅毒ないし癌によってくずれていた) 大部分にとっては、馬車にだれが乗っていたかという問題は、合理的な疑いの余地なく解決したが、チャーリー・ロスはまだ行方不明であった。
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被疑者
「被疑者」の例文・使い方・用例・文例
- 被疑者は全面的な自白をした
- 被疑者はただちに接見交通権を主張した。
- 判事は被疑者の扱い方について警察を激しく非難した.
- (通常、ある法令や条約に基づいて)ある州または国により、他の州または国へ、被疑者や犯罪者を引き渡すこと
- 服を脱がせることで隠し持った武器や違法なドラッグを求めて被疑者を探す
- 軽犯罪に対する起訴を行い、重犯罪の被疑者を上位裁判所で審理するために引き渡す権限を持つ裁判所
- 被疑者の供述を記録したもの
- 検察官面前調書という,被疑者などの供述を録取した調書
- 刑事訴訟法という,刑法によって刑罰権を実行する際の必要な手続きを定めた法律において,被疑者が逮捕されることなく出頭すること
- 被疑者の身柄を拘束せず,任意出頭の形で取り調べること
- 裁判前,ジャーナリズムが被疑者を犯罪者扱いに報道すること
- 犯罪報道で被疑者,被告を実名で報道する主義
- 逮捕状によって被疑者を逮捕すること
被疑者と同じ種類の言葉
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