妻について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 09:59 UTC 版)
貞清は、『正法山誌』では石田三成の婿とされており、『稿本石田三成』でも石田三成の娘を妻としたとしている。 しかし、同じ『正法山誌』によれば、石川頼明が貞清の弟とされており、白川亨は、頼明の兄である一光も貞清の弟と考え、一光が天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで奮戦していることなどから推測して、貞清と石田三成は同年代であり、末弟の頼明の妻が石田三成の義妹(宇多頼忠の娘)であることからきた誤説と主張している。『尾張藩石河系図』によれば、貞清の妻は大谷吉継の妹とされており、寛永8年(1631年)7月24日に没した。法名は竜光院殿月舟寿泉大禅定尼。 真田氏の記録には、真田信繁の七女・おかねを貞清が妻としたとされている。しかし、これについても『尾張藩石河系図』では貞清ではなく、その嫡男である重正(藤右衛門・宗雲)の妻とされている。龍安寺塔頭大珠院に墓碑があり、明暦3年(1657年)8月24日に没。法名は真厳一院法楽宗蓮大姉。
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