ヘレン・パトック
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「バイブル・ジョン」の記事における「ヘレン・パトック」の解説
1969年10月31日、犬を散歩させていた男性が、グラスゴーのスコッツタウン(英語版)にある共同住宅の後方で29歳のヘレン・パトック (英: Helen Puttock) の遺体を発見した。ヘレンの遺体はアール・ストリートにある自身が住むアパートの裏庭にある排水管のそばで発見された。ヘレンは服を一部脱がされ、顔をひどく殴打された後、強姦され、履いていたストッキングで絞殺された。ヘレンが持っていたハンドバッグそのものは犯行現場からなくなっていたが、中身は遺体の近くにばら撒かれていた。ヘレンの足や靴に付いていた植物の染みから、犯人に対して激しく抵抗したことが伺える。あるときまで明らかに近くの鉄道の土堤によじ登ろうとしていた。遺体の右の上腿には深い咬合痕が見られた。また、犯人はヘレンが使っていた生理用ナプキンを遺体の左腕に挟みこんでいた。前の2人の被害者と同様に、ヘレンも殺害されたときには生理中だった。 殺害される前夜、ヘレンと姉のジーン・ラングフォード (英: Jean Langford) はバローランド・ボールルームに行っていた。2人はその場所でそれぞれある男性と知り合ったが、どちらもジョンと名乗っていた。一方の男性はキャッスルミルク(英語版)に住むスレート工と自称していた。もう一方の人物は上品な言葉遣いをしていたが、自分がどこに住んでいるかを明かさなかった。姉妹は2人の男性と1時間以上一緒に過ごし、4人はバローランド・ボールルームを出て自宅へ向かった。ジーンのダンスの相手だったジョンと名乗る人物はバスに乗るためジョージ広場(英語版)へ歩いていき、ジーンとヘレン、ヘレンのダンスの相手だった人物はタクシーを拾った。3人はグラスゴー十字路(英語版)を出発し、ナイツウッド(英語版)にあるジーンの住居へ向けて20分間西方へ進み、ジーンはそこで降車した。その後、タクシーはスコッツタウンにあるヘレンの住居へ向かっていった。タクシーの中での3人の会話から、犯人のプロファイリングに関係する重要な情報のほとんどが明らかになった。 ジーンはチャペルでの教育を受けた経験があったが、後に刑事に伝えたことによると、ヘレンのダンスの相手は禁酒主義者で、タクシーの中での会話の際に、旧約聖書のモーセの話を度々引用していたという。その人物は、バローランド・ボールルームのことを"adulterous den of iniquity"(直訳すると「不義の悪の巣窟」)と評した。その夜のダンスの終わりに4人が上着を取りに行ったときには、既婚女性がバローランド・ボールルームに来ることを非難する発言をしていた。ジーン自身はケルソー・ストリートでタクシーを降りたが、その後、タクシーはアール・ストリートへ曲がっていった。
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