こく‐はつ【告発】
告発(こくはつ)
犯罪事実を知ることのできた第三者が検察などの捜査機関に対して、その犯罪を起訴するよう求めること。告発は、犯罪の被害者でない第三者が行うものとされている。
犯罪の被害者やその法定代理人などは、犯罪の捜査を促し、起訴してほしいという意思を示す手段として、告訴することができる。一方、犯罪の被害者でなくても、その犯罪行為を目撃することにより犯罪事実を知った第三者の場合は、告発することができる。
告訴と告発は、捜査機関に犯罪の起訴を要請するものであるが、実際に起訴するかどうかは検察の判断となる。告発の場合、犯罪の現場を見てしまった者は、その事実を告げるべきだという道徳的責任に基づき制度化されている。特に、公務員は、職務中に犯罪事実を知ったときは告発することが義務づけられている。
証人喚問における偽証罪で告発された例として、1995年の衆議院・予算委員会で信用組合の不正融資事件について証言した山口敏夫元労相がいる。現在、背任罪や横領罪とともに控訴審で審理が続いている。
(2002.03.19更新)
告発(こくはつ)
告発
犯人および告訴権者以外の者から,捜査機関に対して犯罪事実を申告して,その捜査および訴追を求める意思表示をいう。告発は,被害者に限らず誰でもできるが,官吏,公吏その他法律で定められた私人(爆発8条など)には告発義務が存する(刑訴239条)。告発は,一般には親告罪の告訴と異なり,訴訟条件ではなく捜査の端緒に過ぎないが,明文をもって訴訟条件とされる場合(独禁96条)や,訴訟条件と解釈しなければならない場合(税犯13条,14条,17条,関税137~140条,議院証言8条)もある。告発は,口頭または文書で検察官または司法警察員に対してしなければならない(刑訴241条)。
なお,一般に「内部告発」,「ネット告発」などと称される行為がしばしばあるが,ここにいう「告発」は,犯罪事実を申告するなら格別,単に世間の耳目を集めるという意味において本来の告発とは異なる。
(注:この情報は2007年11月現在のものです)
告発
告発
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「ウラジーミル・ブルツェフ」の記事における「告発」の解説
ブルツェフはパリに移って調査を進め内通者はアゼフだと確信したものの、状況証拠しかなかったためブルツェフの告発は信用されず、彼は決定的な証拠を求めてアレクセイ・ロプヒン(英語版)と接触した。ロプヒンはオフラーナの元幹部であり、当時は亡命してドイツに住んでいた。ブルツェフはベルリンからケルンへ向かう列車で偶然を装ってロプヒンに接触すると彼の警戒を解くことに成功し、自分のコンパートメントに誘って会話を続け、最終的にケルン到着直前にアゼフがエージェントだという証言を得た。ブルツェフはロプヒンに証言者の名前を出さないことを約束し、パリに戻ると党の中央委員会に手紙を送りアゼフがオフラーナのエージェント「ラスキン」だと証明する直接的な証拠があると断言した。ブルツェフの告発を放置できなくなった党は革命指導者3人に対処を命じ、査問で追い詰められたブルツェフはロプヒンとの約束を破ることになった。ブルツェフは放免され、また党の追加調査によりロプヒンがアゼフとゲラシモフ将軍から引退するよう圧力をかけられていたという新たな証言が得られた。1909年1月5日、エスエルの中央委員会はアゼフを処刑すべきだと判断した。アゼフ自身は処刑前にドイツへと逃れたものの、ブルツェフは「ロシア革命のシャーロック・ホームズ」と呼ばれて英雄視され、オフラーナの諜報活動に対抗する防諜の専門家として活動するようになった。
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告発
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「石油食料交換プログラム」の記事における「告発」の解説
2006年1月6日、韓国の実業家パク・トンスンが、石油食料交換プログラム下のイラクから数百万ドルを不正に受け取っていたとして告発され、ヒューストンでFBIに逮捕された。パクはマンハッタン地方裁判所で刑事裁判にかけられた。 2007年1月16日、ベノン・セバンはマンハッタン連邦検察により、約16万ドルの賄賂を受け取ったとして起訴された。ニューヨーク南地区の弁護士マイケル・J・ガルシアは、セバンの故郷のキプロスでセバンを逮捕するためのインターポールからの委任状と、さらにセバンに不正収入を送っていたかどで起訴されていたニューヨークの実業家エフレイム・ネドラー(Efraim "Fred" Nadler)を逮捕する委任状を受け取っていた。ネドラーの所在は明らかになっていない。
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告発
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1637年までに、植民地のピューリタン聖職者達は、ハッチンソンに女性の尊厳と権利について邪悪で「不愉快な」考えを吹き込む現代のイゼベル(ふしだらな女)という刻印を捺した。その年、ヘンリー・ベイン卿はジョン・ウィンスロップに知事の座を譲り、ウィンスロップはベインのようなハッチンソンに好意的な意見を分け持たなかった。その代わりに、彼女を「丘の上の町」(ピューリタンの特徴である教義)に対する脅威であると考え、彼女の集会は「神の視野において許し難く魅力もないものであり、女性には向いていない」ものと批判した。ウィンスロップ知事と確立された宗教階級は彼女の討議集団での発言の多くを異端であると考え、特に具体的には「非公認の情報をもとに神職者について根拠のない批判」を異端とした。 ハッチンソンはウィンスロップ知事に、神自身が彼女に「…正義の玉座とその前に現れる全世界にかけて、私はニューイングランドに来なければならないが、怖れも落胆もしてはいない」と告げたと語った。ウィンスロップは即座に「彼女の持ち出した神のお告げは妄想であると信じている」と回答した。
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「商業フランチャイズ経営管理条例」の記事における「告発」の解説
如何なる個人・団体も本条例の違反行為を商務主管機関に通報することができ、通報を受けた商務主管機関は迅速に処理しなければならない(第6条)。
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「マニウス・アクィッリウス (紀元前129年の執政官)」の記事における「告発」の解説
後(紀元前126年から123年の間)に、アクィッリウスはプブリウス・コルネリウス・レントゥルスから、その統治地域での不法行為に関して訴えられている(裁判が先で無罪になった後に凱旋式を行ったとする説もある)。判決は無罪ではあったが、アッピアノスは明らかに有罪であったとしている。 紀元前123年になると、アクィッリウスの政敵であるガイウス・センプロニウス・グラックス(グラックス弟)が護民官となって再度裁判を起こした。彼は収賄罪で有罪となり元老院議員からエクィテス(騎士階級)に落とされたマニウス裁判の例を出して、アクィッリウスを無罪とした判事を非難した。アウルス・ゲッリウスは、グラックスがその演説においてアウフェイウス法(en)を持ち出したとしている。この法律は小アジアでの植民に関連したものと思われるが、言及されるのはこの資料のみで詳細は不明である。グラックスは、この法に賛成する元老院議員はポントスからの賄賂を受け取っており、受け取っていないものはビテュニアから賄賂を受け取っていると主張している。アウフェイウス法とアクィリウス法(en)は同一のものではないかとの説もある。いずれにしてもこの裁判はビテュニアのニコメデス2世から訴えられた、東方でのアクィッリウスの行動と関連していた。 最終的にグラックスは、大フリギアをミトリダテスに割譲するのは不当であるとの決定を得た。アクィッリウスのその後に関しては不明である。
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告発
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戦後、共産主義者であると告発を受けた。1948年の夏に下院非米活動委員会において、ウィテカー・チェンバース(英語版)とエリザベス・ベントリー(英語版)が、ソ連のNKGB(国家保安人民委員部、KGBの前身)の在米責任者ボリス・ブコフ(英語版)大佐指揮下の秘密工作機関について知る限りを証言、その中に彼の名前があったため、非米活動委員会に召還された。 委員会において彼は自分がスパイであることを否定した。 下院非米活動委員会に出席した三日後、ニューハンプシャー州の自分の農場にて心臓発作により死去。これはジギタリスの大量服用による心臓麻痺で、自殺だったと言われている。
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告発 (1994)
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「サンフランシスコ」の記事における「告発 (1994)」の解説
ケビン・ベーコン出演。アルカトラズ島、市庁舎、パレスオブファインアート、アラモ・スクエアなど。
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告発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 00:04 UTC 版)
1625年(寛永2年)に小浜光隆は福岡藩の黒田忠之を禁令違反で告発した。これは鳳凰丸のことであり、検使が派遣されて500石以下であることが証明され、処罰はなかった。
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告発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 05:34 UTC 版)
石原は、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(1956年、みすず書房刊) を手に入れると、それを何度も読んだ。石原の持っていた『夜と霧』には鉛筆や赤鉛筆で傍線が引かれ、余白には書き込みがあり、何度も読んだらしく本は手擦れで変色している。 『夜と霧』は石原に大きな影響を与えた。石原はエッセイ「『望郷と海』について」の中で、「告発の次元からはっきり切れている著者の姿勢」に心打たれたと書き、別のエッセイ『沈黙するための言葉』では「告発しないという決意によって私は文学にたどりつくことができたし、詩にたどりつくことができた」と書いている 石原が告発をしなかったのは、それができなかったからだと考える人もいる。実際に石原はエッセイ「強制された日常から」の中で、ラーゲリにおける日常を「他者の死を凌(しの)いで生きるということに他ならない」と書き、『確認されない死のなかで』では「生き残ったという複雑なよろこびには、どうしようもないうしろめたさが最後までつきまとう」とも書いた。亡くなる直前の対談 (『キリスト教文学の世界13』月報) では「生き残った人間は、人を告発する資格はない」とも述べている。 しかし、「告発」を行わないという態度は、個人だけでなく行政や国家、国家の指導層の告発も行わないということを意味し、しばしば批判される原因にもなった。例えば、評論家の吉本隆明は詩人の鮎川信夫との対談 (雑誌『磁場』1978年春季号) の中で、「石原さんは国家とか社会とか、共同のものに対する防御が何もない」「それは怠惰ではないか」と批判的に語っている。また、評論家の内村剛介も『失語と断念 -石原吉郎論-』の最後で「"政治嫌い"は「純粋」で「人間的」だとする石原の予断自体が不正直だ。「純粋」とか「人間」とかいう虚妄の名辞にいかれている石原がここにある。そんなものが跡を絶ったからこそ二〇世紀は収容所の世紀となったのだというのに」と書いた。内村も石原と同様、反ソ行為による犯罪者扱いを受け長期抑留の経験をしているが、内村と石原の考え方は正反対である。内村は、囚人は「肉体的には拘束されていても、精神は自由だ」と断言し、むしろ、監守の方が精神的な牢獄に閉じ込められていると述べている。もちろん、シベリア抑留者の多くが、石原や内村のように考えていたわけではない。 もう1つ指摘されているのは、極限的な環境の中で信仰は救いになるかという問いに対する、石原とフランクルの考え方の大きな差である。 フランクルは、極限状態にあっても人間の尊厳を守るのが信仰であると考えたのに対し、石原は1975年(昭和50年)のエッセイ「聖書とことば」の中で、「私にかぎって」と留保をつけながらも、ラーゲリで体験したことからその考えを完全に否定している。ラーゲリでの体験から石原が学んだことは、極限状態にあって信仰は人間の尊厳を守るためには何の役にも立たないという事実であり、その末に石原が見出したのが「失語」と「寂寥」だった。
※この「告発」の解説は、「石原吉郎」の解説の一部です。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:02 UTC 版)
市民団体「検察庁法改正に反対する会」(共同代表:岩田薫)は2021年3月16日、「接待は贈収賄に当たる疑いがある」として、高市や同じく総務大臣であった野田聖子ら合わせて22人に対し、贈賄容疑での刑事告発状を東京地方検察庁に提出した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/12 16:36 UTC 版)
「福岡市の中央保育園移転問題」の記事における「告発」の解説
2013年9月25日、園児の保護者は高島市長を背任の容疑で福岡地検に告発した。告発状によると高島市長は2011年4月ごろ、すでに進められていた中央保育園などの現地建て替え事業について、商業施設への転換を図り、議会承認まで受けていた予算執行を停止したとしている。また、現地建て替えであれば土地を新規取得する必要はなく、「不急不要な商業施設建設を促し不必要な土地取得を行った市長の行為は背任罪に当たる」と指摘している。11月8日に福岡地検は当告発を受理している。
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告発
「告発」の例文・使い方・用例・文例
- 警察は彼を告発した
- 彼女は彼をオフィスでお尻を触ったということで告発した
- 彼は飲酒運転で告発された
- 検察当局は彼がわいろを受け取ったとして告発した
- 地元の住民たちは川にゴミを投棄したかどでその会社を告発した
- 弁護士は詐欺で告発された男を弁護した
- 彼は裏切り者だとして警察に告発された
- 市長は収賄で告発された
- その警官は囚人への暴力で告発された
- 告発者になると、復讐されるリスクを背負う。
- 私は1年前、内部告発をして、現在公益通報者保護制度によって保護されています。
- デート商法によって自らのファンに不必要な高額商品を売りつけた元俳優が詐欺の疑いで告発された。
- ジョンはクレジットカード申請の偽造で告発された。
- 彼女はクレジットカードの申込書を偽造したことで告発された。
- 当局に告発する
- あなたの会社では内部告発がありますか。
- この事実はマスコミを通じて告発致します。
- 先月の内部告発の話題で社内会議は混迷を極めました。
- 彼は無実の罪で告発されている。
- 彼は暴言罪で告発された。
固有名詞の分類
品詞の分類
名詞およびサ変動詞(訴訟) | 閉廷 上告 親告 告発 保釈 |
名詞およびサ変動詞(伝える) | 通告 誡告 告発 報告 口寄せ |
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