事件への関与
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出家後まもなくの1988年9月、在家信者死亡事件が起こる。大内は関わっていなかったが、遺体を焼却する場に居合わせた妹の大内早苗から相談されたことで事件を知る。早苗は麻原の他人の心を読める力を気にして、兄に話してしまったことを麻原に打ち明け、麻原は大内を呼び出し、大内は早苗から事件について聞いたことを認めた。1989年2月、麻原から「グルのためなら人を殺すことができるか」と言われ、男性信者殺害事件に関与することになった。さらに1993年6月、早苗の監視ミスがきっかけとなった男性信者逆さ吊り死亡事件の死体隠蔽に参加した。 1995年3月の地下鉄サリン事件を機に、ロシア政府はオウム真理教を信じることを禁止。7月に当時ロシア国内に残っていた大内は布教禁止命令に違反したとして逮捕され10日間勾留される(支部長の上祐史浩は日本に呼び戻され不在だった)。日本に帰ることもできたがロシアの信者に迷惑がかからないように自分が犠牲にとの思いであり、ロシアの捜査官からは「上祐の責任を背負わされた馬鹿」呼ばわりされたという。勾留中に脱会届を教団に送付した。 1998年3月5日に国外退去処分を受け、ロシアを出国した。同年4月2日、男性信者殺害事件で国際指名手配。その後、キプロスに潜伏しているところを現地警察に逮捕されてしまい、日本に強制送還され、4月19日に警視庁に逮捕された。坂本堤弁護士一家殺害事件がオウムの犯行であったと知り、麻原への帰依の心が揺らいだ。 裁判では、上祐史浩らにオウムを解散するよう求めた。検察より懲役10年が求刑され、2000年11月6日の第一審・2003年2月6日の控訴審とも懲役8年の実刑判決が下り確定。
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事件への関与
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松本サリン事件、滝本弁護士サリン襲撃事件、 駐車場経営者VX襲撃事件、池田大作サリン襲撃未遂事件の実行犯、地下鉄サリン事件のサリン製造係として事件に関わった他、生物兵器培養、化学兵器製造、違法薬物製造などを行った。
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事件への関与
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1988年、在家信者死亡事件現場に立ち会う。 1989年、男性信者殺害事件では被害者男性を説得したが脱会の意思は変わらず、被害者は殺害されることとなった。同年11月、坂本弁護士一家殺害事件に参加し、殺害に関与。またTBSのスタッフが坂本弁護士のオウム批判のインタビュー映像を放送直前に早川に見せたことが事件のきっかけのひとつとなった(TBSビデオ問題)。事件時に手袋をしていなかった早川や村井秀夫は麻原に指紋消去を命令され、熱したフライパンや豚の皮で指紋消去を行わされた。しかし指紋は後に再生してしまった。 1990年、ボツリヌス菌計画に関与。同年年末の熊本県阿蘇郡波野村(現在の阿蘇市波野地区)の国土利用計画法違反事件では土地購入担当者であったので逮捕が予想され、麻原の指示により村井秀夫、上祐史浩と共に女装して東北へ逃走。3人ともどう見ても女性には見えず各地でおかま呼ばわりされた。結局、熊本地検に出頭したところを熊本県警に逮捕され、住居制限と教団関係者との接見禁止を条件に保釈されている(1992年夏に解除)。 保釈中も教団幹部として数度ロシアを訪れ、度重なるロシア訪問でロシア政府高官とパイプを築いた。オウムはロシアではステータスの高い団体であったので、世間で言われているように裏社会に強かったということはなく、AK-74自動小銃を入手するのにも苦労し、見かねたロシア人通訳が手配してくれたという。他にも1994年6月1日に旧ソビエト連邦製の30人乗り大型ヘリコプター「ミル17」やLSDの原料をロシアから購入した。 1993年、キーレーン関係で帰国したとき急遽亀戸異臭事件に参加している。 1995年の地下鉄サリン事件はロシアで知り、オウムの犯行だと察知、オウムは終わったと感じた。 早川は他の幹部と比較するとテロの現場にはあまり参加していないが、早川はその理由として1993年の出来事を挙げている。1993年12月、オウムは創価学会の一大拠点である東京信濃町をボツリヌス菌噴霧車で襲撃しようとしたが、警備に怪しまれたため早川の判断で中止させた。これに対し麻原は早川がいるとワークが成功しないとして不満を持ったという。 オウム事件の動機については「ハルマゲドンの規模を小さくして、救済しようとしていた」と語っている。
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