在家信者死亡事件とは? わかりやすく解説

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オウム真理教在家信者死亡事件

(在家信者死亡事件 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/22 03:34 UTC 版)

オウム真理教 > オウム真理教事件 > オウム真理教在家信者死亡事件

オウム真理教在家信者死亡事件(オウムしんりきょうざいけしんじゃしぼうじけん)とは、1988年9月22日オウム真理教で発生した過失致死事件。教団関係で初めて死者の発生した事件であり、後にオウム真理教男性信者殺害事件が起きるきっかけになった。本件をきっかけに教団は数々の違法行為に手を染めていくこととなったが、一連の事件の中で立件は見送られた。

概要

9月より教団が開催する修行に参加していた在家男性信者が、静岡県富士宮市の富士山総本部道場で修行中に突如大声をあげて暴れだした。原因については「百日修行」と呼ばれる長時間に渡る厳しい修行で精神錯乱を起こしたとも、薬物中毒だったとも言われる。

教祖の麻原彰晃は「頭を冷やしてこい」と弟子に命令し、岡崎一明村井秀夫新実智光早川紀代秀らが[1]、男性信者を風呂場に連れて行かせ、逆さに抱えて頭から浴槽の水につけるなどしたが、その過程で意識不明に陥った。その知らせを聞いた麻原はすぐに駆けつけ、男性信者に「エネルギーを送る」等し、他の信者が人工呼吸などの蘇生処置をおこなったが、そのまま死亡してしまった。

当時、教団は東京都宗教法人認可の手続きを行っており、この事件が発覚した場合、申請が取り消されることは確実であった[2]。そのため、麻原は「教団内で焼いてしまえ。他に漏らせばその人間は地獄に落ちる」と述べて証拠隠滅を指示、死体は焼却して粉々に砕いた後、精進湖へ遺棄した。その後麻原は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の示唆だな」とつぶやいたという[3]。翌1989年、一部始終を目撃していた男性信者が脱会を希望したことで発覚するのを恐れ、教団の事件で初めて殺人に至る男性信者殺害事件を起こすこととなる。

脚注

  1. ^ 大田俊寛『オウム真理教の精神史』 p.240
  2. ^ 翌1989年8月25日にオウム真理教は宗教法人として認可された。
  3. ^ 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所

参考文献

  • 『オウム法廷1 下』(朝日新聞社 1998年)

関連項目


在家信者死亡事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 17:05 UTC 版)

岡崎一明」の記事における「在家信者死亡事件」の解説

1988年9月22日静岡県富士宮市富士山総本部道場2階において『百日修行』と称する立位礼拝』の修行中に在家信者Mが突如大声上げ騒ぎ道場内を走り回るなどの錯乱態となる。その場居合わせた岡﨑が、Mの奇行村井秀夫通して麻原報告したところ頭部水を掛けて冷やすよう指示される医師と元自衛官出家信者2人指示通り道1階女子浴室において、Mの頭部水を掛け、その顔面浴槽浸けるなどしたがそのうちMが脱力態となり意識不明陥った驚いた2人が岡﨑、村井新實智光早川紀代秀らに知らせ、Mにまだ脈が残っていたことから隣の広い男子浴室移し、岡﨑、村井岐部哲也交代人工呼吸を施すなど救命処置行った駆け付けた麻原自己のエネルギー注入称する儀式を行うが、Mは意識が戻ることなくそのまま死亡した当時教団国内外支部設立富士山総本部には道場建設し教団組織拡大図っていた。また、教団宗教法人化に向け、東京都知事対し教団規則認証申請するための事前準備折衝東京都との間で行っていた。Mの件が表沙汰になれば、組織拡大および宗教法人化に打撃を被ると考えた麻原は、松本知子石井久子村井早川、岡﨑らに対し「このことを届け出るか。しかし、せっかく教団勢い出ている時だし、公になれば救済計画大幅に遅れるなあ。ここはどうだろうか、内々処理した方がいいのじゃないか」と述べ、Mの遺体の処理に関し意見求めた。これに対し松本知子は「分からないでできるならば、その方がいい」と消極的ながら同意し石井は「絶対に公表しない方がいい」と積極的な意見述べたその後、関わった者たちが集められ同様に意見求められたが、麻原異を唱える者はいなかった。 麻原は、Mの遺体を他の出家信者に見つからないように『護摩壇』で焼却することを指示村井早川、岡﨑らは、翌朝道場南敷地内耐火煉瓦積み護摩壇造った上で、Mの遺体ステンレス製ドラム缶内に入れ、Tらに道場1階から運ばせた。これを護摩壇上部据え付け後、その下部付近に積み麻原指示により岡﨑が点火し昼夜かけて焼却した。遺体焼却には、麻原石井立ち会ったこの際麻原は「いよいよヴァジラヤーナ実践せよ、というシヴァ神示唆だな」と呟いたという。燃え残ったMの遺骨麻原命令で、道場1階において、村井早川、岡﨑らが金槌叩いて砕き、更に石井古参女性幹部すり鉢ですり潰した上で早川と岡﨑が山梨県西八代郡上九一色村内の精進湖捨てた当時末端弟子から大師まで1日16時間、五体投地極限修行続けている最中だった。この事件には、わかっているだけで20数名信者が関わった。

※この「在家信者死亡事件」の解説は、「岡崎一明」の解説の一部です。
「在家信者死亡事件」を含む「岡崎一明」の記事については、「岡崎一明」の概要を参照ください。

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