オウム真理教在家信者死亡事件
オウム真理教在家信者死亡事件(オウムしんりきょうざいけしんじゃしぼうじけん)とは、1988年9月22日にオウム真理教で発生した過失致死事件。教団関係で初めて死者の発生した事件であり、後にオウム真理教男性信者殺害事件が起きるきっかけになった。本件をきっかけに教団は数々の違法行為に手を染めていくこととなったが、一連の事件の中で立件は見送られた。
概要
9月より教団が開催する修行に参加していた在家男性信者が、静岡県富士宮市の富士山総本部道場で修行中に突如大声をあげて暴れだした。原因については「百日修行」と呼ばれる長時間に渡る厳しい修行で精神錯乱を起こしたとも、薬物中毒だったとも言われる。
教祖の麻原彰晃は「頭を冷やしてこい」と弟子に命令し、岡崎一明、村井秀夫、新実智光、早川紀代秀らが[1]、男性信者を風呂場に連れて行かせ、逆さに抱えて頭から浴槽の水につけるなどしたが、その過程で意識不明に陥った。その知らせを聞いた麻原はすぐに駆けつけ、男性信者に「エネルギーを送る」等し、他の信者が人工呼吸などの蘇生処置をおこなったが、そのまま死亡してしまった。
当時、教団は東京都に宗教法人認可の手続きを行っており、この事件が発覚した場合、申請が取り消されることは確実であった[2]。そのため、麻原は「教団内で焼いてしまえ。他に漏らせばその人間は地獄に落ちる」と述べて証拠隠滅を指示、死体は焼却して粉々に砕いた後、精進湖へ遺棄した。その後麻原は「いよいよこれはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の示唆だな」とつぶやいたという[3]。翌1989年、一部始終を目撃していた男性信者が脱会を希望したことで発覚するのを恐れ、教団の事件で初めて殺人に至る男性信者殺害事件を起こすこととなる。
脚注
- ^ 大田俊寛『オウム真理教の精神史』 p.240
- ^ 翌1989年8月25日にオウム真理教は宗教法人として認可された。
- ^ 平成7年刑(わ)894号 平成14年7月29日 東京地方裁判所
参考文献
- 『オウム法廷1 下』(朝日新聞社 1998年)
関連項目
在家信者死亡事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 17:05 UTC 版)
1988年9月22日、静岡県富士宮市の富士山総本部道場2階において『百日修行』と称する『立位礼拝』の修行中に、在家信者Mが突如大声を上げ騒ぎ道場内を走り回るなどの錯乱状態となる。その場に居合わせた岡﨑が、Mの奇行を村井秀夫を通して麻原に報告したところ頭部に水を掛けて冷やすよう指示される。医師と元自衛官の出家信者2人が指示通り道場1階女子用浴室において、Mの頭部に水を掛け、その顔面を浴槽の水に浸けるなどしたが、そのうちMが脱力状態となり意識不明に陥った。驚いた2人が岡﨑、村井、新實智光、早川紀代秀らに知らせ、Mにまだ脈が残っていたことから隣の広い男子用浴室に移し、岡﨑、村井、岐部哲也が交代で人工呼吸を施すなど救命処置を行った。駆け付けた麻原も自己のエネルギー注入と称する儀式を行うが、Mは意識が戻ることなくそのまま死亡した。 当時、教団は国内外に支部を設立、富士山総本部には道場を建設し教団の組織拡大を図っていた。また、教団の宗教法人化に向け、東京都知事に対し教団規則の認証を申請するための事前準備の折衝を東京都との間で行っていた。Mの件が表沙汰になれば、組織拡大および宗教法人化に打撃を被ると考えた麻原は、松本知子や石井久子、村井、早川、岡﨑らに対し「このことを届け出るか。しかし、せっかく教団の勢いの出ている時だし、公になれば救済計画も大幅に遅れるなあ。ここはどうだろうか、内々に処理した方がいいのじゃないか」と述べ、Mの遺体の処理に関し意見を求めた。これに対し松本知子は「分からないでできるならば、その方がいい」と消極的ながら同意し、石井は「絶対に公表しない方がいい」と積極的な意見を述べた。その後、関わった者たちが集められ、同様に意見を求められたが、麻原に異を唱える者はいなかった。 麻原は、Mの遺体を他の出家信者に見つからないように『護摩壇』で焼却することを指示。村井、早川、岡﨑らは、翌朝、道場南側敷地内に耐火煉瓦を積み護摩壇を造った上で、Mの遺体をステンレス製ドラム缶内に入れ、Tらに道場1階から運ばせた。これを護摩壇上部に据え付け後、その下部付近に薪を積み、麻原の指示により岡﨑が点火し二昼夜かけて焼却した。遺体の焼却には、麻原と石井も立ち会った。この際、麻原は「いよいよヴァジラヤーナを実践せよ、というシヴァ神の示唆だな」と呟いたという。燃え残ったMの遺骨は麻原の命令で、道場1階において、村井、早川、岡﨑らが金槌で叩いて砕き、更に石井ら古参女性幹部がすり鉢ですり潰した上で、早川と岡﨑が山梨県西八代郡上九一色村内の精進湖に捨てた。 当時は末端の弟子から大師まで1日16時間、五体投地の極限修行を続けている最中だった。この事件には、わかっているだけで20数名の信者が関わった。
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